国会議員の多くが「自分は男系であってほしい」とか「自分は女系派だ」といったように、個別の願望を載せて皇室制度について話すからです。そうではなくて、「国民はどういう皇室であってほしいと思っているか」、「皇室に対して自然と信頼や敬愛を抱くにはどのような制度であるべきか」といった見方をしなければならないでしょう。
こっそりと「皇族数の確保問題」にすり替えられた
そもそも、「今国会中に結論を出したい」としている皇族数確保のための議論も、本来は「安定的な皇位継承」のためのものです。天皇退位に関する皇室典範特例法の付帯決議では、安定的な皇位継承を確保するための課題というのを真っ先に挙げて、先延ばしできない喫緊のものとされたわけです。にも関わらず、こっそりと「皇族数の確保問題」にすり替えて、皇位継承に関してはずっと先送りしてきた。その時点で、皇室の皆さまに真摯に向き合っているとは言い難い。
その影響をダイレクトに受けているのは、やはり女性皇族です。少し話は逸れますが、愛子さまは今年の『歌会始の儀』において、《我が友と ふたたび会はむ その日まで 追ひかけてゆく それぞれの夢》という歌を詠まれました。それぞれの夢や目標を追いかけていくご友人との邂逅を望まれるお気持ちが伝わる一方、よくよく考えると、愛子さまは果たして天皇になる可能性があるのか、結婚した場合皇族として生活するのか、それとも一般国民になるのかという、人生の根っこの部分をご自身で決められず、先行きの見通しが立てられない状況です。若者として人生の夢や目標が定められない状況を強いてしまっていることを、私たちはもっと反省しないといけません。運命の枠づけさえない中で、生まれ育っていく方々の人生はどんなものだろうという想像力を私たちはもっと持つべきですし、国会議員はより持つべきだと思います。
女性皇族が結婚後も皇族でありながら、配偶者や子供は一般国民となれば、「家族観」として明らかに歪
それでもなお皇室の中で生きていくというご覚悟を持っていらっしゃることは切に感じます。法的な話とは別に、やはり皇室の方々と私たち国民は同じ日本という国に生きる人間同士という温かさがあってしかるべきだと思いますし、人間としての思いやりや温かさというものが、この議論にはどうも欠けている気がします。
実際、仮に女性皇族が結婚後も皇族でありながら、配偶者や子供は一般国民となれば、「家族観」として明らかに歪ですよ。かつて皇室というのは日本の家族観のロールモデルのようなイメージがありましたが、家庭の中に皇族と一般国民が混在していては、国民からの見え方がおかしくなります。住む場所や生活費の問題なども発生しますし、たとえば、配偶者や子供は選挙に立候補することはできるのか? どこかの政党を応援できるのか? 表現の自由はどこまで保障されるのか?と疑問ばかりが浮かびます。結局は皇族並みに行動や言動を制限されるのは明らかです。であれば、配偶者にもその子供にも、皇族の身分を与えるのが至極自然なことだと思います。
それでも保守派は「男系男子につながるから」と否定的な姿勢を崩さず、「旧宮家の男系男子が養子として皇族に復帰する」案の議論に進んでいこうとするのでしょう。考えるべきは、男女関係なく親子のつながりで天皇がつながっていく制度と、旧宮家とはいえ一般国民から養子を取ってでも男子でつないでいく制度、どちらの方が自然に親しみや敬う気持ちを国民の多くが持てるかということ。答えは明白ですし、自ずと女性天皇・女系天皇を認める方向で議論が進むべきです。
いまの男系男子の制度というのは、「男子を産みなさい」という強烈なプレッシャーが各妃にのしかかってきたものでした。お世継ぎの重圧から心身の不調を訴えられる姿も、私たちはこれまでに見てきたわけです。皇室に入った女性を苦しめる制度はやめるべきだし、それを変えることによって皇室が自然につながっていくのなら、これ以上のことはないと思います。女性皇族の苦しみを少しでも減らし、それによって皇位継承も安定するわけですから、矛盾はありません。それを理解した上で、「皇位継承のあり方」について、国全体で考えて行くべきなのです。
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~~プロフィール~~
菅野志桜里(かんの・しおり)
弁護士。2009年、衆議院議員選挙で初当選。3期10年にわたり衆院議員を務め、待機児童問題や皇位継承問題、憲法改正などに取り組む。2021年に次期衆院選への不出馬を表明。同年11月、一般社団法人国際人道プラットフォーム代表に就任した。