
酒豪でパチンコ好き──そんな現在の姿からは想像できない“華麗なる経歴”が芸人、椿鬼奴(52才)にはある。都内の裕福な家庭に生まれ、中高一貫の進学校を経て、名門で知られる清泉女子大学に入学と、10代の頃は何不自由ない生活を送ってきた。
しかし、時代が鬼奴を最初のどん底に突き落とす。バブル崩壊を機に両親が自宅マンションを売却し、別居。20才にして貧困生活に転落したのだ。
大学卒業後は友人の紹介で営業事務の仕事を始めるも、給料はほぼ飲み代で消えてしまう日々だった。
「月給は20万円くらいでしたが、飲み代だけで8万~10万円ほど使っていましたね。この頃に吉本興業の養成所に入ったのですが、“芸人になりたい!”というよりは習い事の感覚でした。もともと目立つことは嫌いなんです。習い事を始めれば居酒屋に行く時間も減り、飲み代の節約になるだろうという考えからの入学でした」(鬼奴・以下同)
26才で養成所を卒業し、「金星ゴールドスターズ」というコンビを結成するも、長らく仕事に恵まれない時代が続いた。
本名から芸名を“椿鬼奴”に改める
「イベントに月1回出演している程度でした。芸人のギャラだけでは生活できませんから、並行して飲食店と運送会社でのバイトも。その後、コンビは解散してピンになったのですが、ネタを作ることもできず、さらに出演の機会から遠ざかってしまいました」
9~17時でテレアポのバイトをしながら、深夜から朝にかけて先輩の舞台を手伝うハードな日々。しかも、当時の彼氏から教えてもらったパチンコに目覚め給料はすべてつぎ込んでしまい、貯金はゼロどころかキャッシングを繰り返し、クレジットカード会社から「カード返納」の勧告が届いたこともあったという。
そんなとき、先輩芸人から声をかけられ、吉本の芸人で構成される5人組ユニット「キュートン」に参加。人前で目立つようにと、それまでの本名から芸名を“椿鬼奴”に改めた。
「覚悟を決めないと芸人の仕事はなくなると腹をくくりました。そうしたら人が縁を呼んでくれて仕事の場が広がっていった。貯金ゼロでパチンコをしていた日々がなつかしくもありますが、ほどほどに楽しめるようになったかな(笑い)」
※女性セブン2025年3月6日号