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【フジテレビ騒動でクローズアップ】世界に例を見ない日本の「電波利権」“新聞社と一体化したテレビ局が国の管理下に置かれる”その特異な構造はいかに生まれたのか

フジテレビによる一連の騒動でテレビを巡る「電波利権」の不都合な真実が明らかになった(写真/PIXTA)
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水や電気、道路といった「公共財」は、誰かが独占するものではなく、広く国民の財産として平等に享受されるべきものだ。しかし、この国では電波だけは例外となっている。フジテレビによる一連の騒動で皮肉にもテレビを巡る「電波利権」の不都合な真実が明らかになった。【前後編の前編】

業界内で囁かれるフジテレビ「電波停止」「放送免許取り消し」

フジテレビの凋落が止まらない。一連の騒動によるスポンサー離れは歯止めがかからず、『27時間テレビ』『FNS歌謡祭』といった、看板番組の放送も見送られるなど、開局以来の危機を迎えている。現在は、第三者委員会が調査を進めている最中だが、問題は放送行政を所管する総務省にも飛び火した。

「(総務省)情報流通行政局長から同社(フジテレビ)の嘉納代表取締役会長に対して、第三者委員会において早期に調査を進め、その結果を踏まえ、適切に判断、対処していただきたい旨を要請いたしました」

1月24日、村上誠一郎総務大臣は記者会見でフジテレビに口頭で行政指導をしたことを明かし、業界内では「電波停止」や「放送免許取り消し」が囁かれる。

1月27日に行われたフジテレビの「10時間超会見」は、CMもはさまずに流され続けた(時事通信フォト)
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一方、こうした対応に疑問を呈する声もある。元テレビ局プロデューサーで、桜美林大学芸術文化学群教授(メディア論)の田淵俊彦さんは、「総務省の行政指導は明らかに行きすぎ。これは全テレビ局にかかわる問題です」と指摘する。

「これまでやらせやデータ捏造など放送法に違反するケースにおいて行政指導が行われたことはありましたが、今回のように企業ガバナンスに関連して行政指導するのは異例です。

これがまかり通ると、企業ガバナンスを口実にほかのテレビ局も政府に過干渉されることになり、各局が、いたずらすると怒られる子供のように畏縮して、ビクビクしながら番組を制作するという事態に陥る恐れがある。テレビ局が政府に忖度して、国民に正しい情報が届かなくなる可能性があります」(田淵さん・以下同)

世論や海外ファンドからの厳しい声を受け、フジテレビは1月27日、10時間以上に及ぶ2度目の記者会見を開いた。田淵さんは、この会見を中継し続けたフジテレビの姿勢にも疑問を投げかける。

「10時間も自社の記者会見を地上波でたれ流すのは、“公共の電波の私物化”で、既得権の濫用にあたるのではないでしょうか。視聴者は今回のようなことはフジだけの問題ではなく、『テレビは全部同じだろう』と思っています。だから今回の問題は、テレビ業界全体に向けられた試練だと考えています」

「大本営発表の反省」を教訓に透明性を高めるはずだった

公共財であるはずの電波を政府が割り振り、テレビ局が長年にわたって独占し続ける──これが、世界に例を見ない日本の「電波利権」だ。その長い歴史をひもといてみよう。

戦前に始まった電波放送は戦後に転機を迎え、1950年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導で、「電波法」「放送法」「電波監理委員会設置法」という「電波三法」が施行された。放送制度に詳しい立教大学社会学部長・メディア社会学科教授の砂川浩慶さんが話す。

「3つめの法律にある『電波監理委員会』は国から独立した組織で、放送局に放送免許を与える権利を持ちます。戦前は国が放送局に放送内容を指示した結果、大本営発表が生まれたので、戦後は放送免許の許認可の透明性を高め、国による放送局への介入を防ぐため電波監理委員会が設置されました」

ところが1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本が主権国家として独立を回復すると、政府は直ちに「電波監理委員会」を廃止して放送免許の許認可権を郵政省(現・総務省)の管理にした。

以降、日本では国が放送免許の許認可や電波の割り当てを管理している。これは世界的にみてかなり特殊な事態であるという。

「アメリカのFCC(連邦通信委員会)やイギリスのOfcom(放送通信庁)など、欧米諸国では独立行政委員会が電波を管理しており、総務省という国の機関が直接放送局に免許を付与するのはG7のなかで日本だけです。OECD(経済協力開発機構)加盟国のなかでも、極めて異質。独立した放送行政は世界の趨勢でもあり、日本以外で国が免許権限を持つのは中国、ロシア、北朝鮮といった全体主義国家が目立ちます。先進国のなかで政府が放送をコントロールすることを続ける国は日本だけで、世界の常識と大きく乖離しているのです」(砂川さん・以下同)

こうした「政府と放送局」の密接な関係に加えて、日本独自の仕組みをもたらしているのが「新聞社と放送局」の“蜜月”だ。戦後の高度成長期にテレビはラジオをしのぐ放送局になり、全国各地にテレビ局が誕生した。この旗振り役を務めたのが田中角栄元首相だ。

「39才という若さで1957年に郵政大臣になった角栄氏は地元が反対しても構わず、地方の放送局の放送免許を次々と出しました。テレビがまだ一般家庭に普及していない昭和30年代に“テレビの時代が来る”と確信。政治主導で地元の新聞社や地元の財界などに出資させ、地方にどんどんテレビ局を作ったのです」

さらに田中元首相は、テレビ局と新聞社の関係強化に乗りだした。元TBS報道局員でジャーナリストの田中良紹さんが指摘する。

田中角栄元首相がテレビ局と新聞社の関係を強化した(写真/PIXTA)
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「田中角栄は天才的に頭がいい人だったから、新聞社とテレビ局の資本関係などを調整して、TBSを毎日新聞、NETテレビ(現・テレビ朝日)を朝日新聞、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を日本経済新聞と結びつけるなどの系列化を次々と進めました。

この流れは地方局にも及び、かつて郵政省の記者クラブには郵政省や田中角栄らの動向をうかがい、“地方に放送局ができる”という情報を入手すると自分が働く新聞社に取り込もうとする“波取り記者”が存在したほどです。彼らは原稿を書かず、自分たちの利権になる電波を奪い合っていたのです」

このように新聞社がテレビ局やラジオ局などに資本参加することを「クロスオーナーシップ」と呼ぶ。

「テレビ局と新聞社が系列化すると互いを批判・監視できないので、クロスオーナーシップを認めないのが先進国の考え方です。しかし日本のテレビ局と新聞社はこぞって系列化して、既得権益を追い求めました」(田中さん)

こうしてクロスオーナーシップで新聞社と一体化したテレビ局が国の管理下に置かれるという、世界でも稀な構造が生まれ、電波利権はメディアすら黙殺するタブーとなった。