
日本で初めてのラジオ放送は1925年3月22日9時30分、NHKの前身である東京放送局の仮放送所から始まった。それから100年、テレビの台頭やメディア、娯楽の多様化で斜陽を迎えた時期もあったが、インターネットを利用しての放送や配信が可能になったいま、幅広い世代に聴かれるように。ラジオの人気を長年けん引してきた人気パーソナリティー俳優・毒蝮三太夫(88才)にその魅力を語ってもらった。
口の悪さににじむ温かい語り口が愛されて…
《おい、ババア! くたばりぞこない(笑い)》

下町っ子である俳優・毒蝮三太夫の、何とも口が悪いが、明るく元気な声が響くのは、TBSラジオの『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』だ。毒蝮が、商店や会社、工場などを訪れ、集まった観衆とスタジオとを生中継する公開生放送番組で、毒蝮の口の悪さが番組の“ウリ”のひとつになっている。
「まずいよね、いまの時代“ババア”とか言ってさ。きっかけは50年以上前になるんだけどね。おふくろが75才で亡くなったとき、ラジオの生中継に行ったんだよ。そうしたら、たまたまおふくろと同じ年の人がいたの。おふくろは死んじゃったのにこの人は元気だなと思ってつい、おふくろに言うように“うるせぇな、このババアは!”って言っちゃった」(毒蝮・以下同)
これにはコンプライアンスに寛容だった当時ですら抗議の電話が殺到した。
「でもさ、いつもわがままな年寄りの客を乗せているタクシーの運ちゃんたちから“よく言った!”って電話もあってね。そのおかげでおれはクビにならずにすんだんだよ」
クビどころか、それから半世紀以上たったいまでも愛され続ける長寿番組となった。口が悪くても、発する声に毒蝮の「温かい情」が感じられるからだろう。
ラジオと歩み続け、100才を目指したい
芸歴77年。毒蝮はラジオと共に芸能人生を歩んできた。デビューは1948年、ラジオドラマが原作の舞台だった。大学卒業後は活躍の場をテレビに移し、『ウルトラマン』(TBS系)のアラシ隊員役などで人気を博す。その後、『笑点』(日本テレビ系)で共演した、盟友の故・立川談志さんのすすめで“毒蝮三太夫”に改名した。
「ドクマムシ、なんて気味が悪いって思われちゃったんだろうね。どんどん仕事が減っちゃったんだよ」
この苦境を救ってくれたのもまたラジオだった。
「暇なときに赤坂で一緒に麻雀をしていたTBSラジオのディレクターが“おもしろい人だなぁ!”って声をかけてくれてさ、それで始まったのが『ミュージックプレゼント』。談志から“お前は普段のしゃべりがおもしろいんだから話芸で行け”って言われてたんだけど、その通りだったんだな。永六輔さんは《ババアババアでうちを建て》って川柳まで作ってくれてね、笑ってくれたんだ」
豪快な笑顔と快活なしゃべり口は、88才を迎えたいまも健在だ。
「ラジオを通じて、年寄りを元気にしたいんだよ。そのためにおれが見本になっていたい。100才近くになったジジイが“ババア!”って大きな声を出してるの、おもしろいだろ」
と、豪快に笑いながら話してくれた。ラジオは100年たった。100才の毒蝮の“ババア”も聞きたい。
◆俳優、タレント、ラジオパーソナリティー:毒蝮三太夫
1936年生まれ。12才のときに、ラジオドラマ原作の舞台『鐘の鳴る丘』で俳優デビュー。日本大学芸術学部映画学科卒業後、『笑点』(日本テレビ系)、『ウルトラマン』(TBS系)などのテレビ番組に出演し、人気を博す。1969年からラジオパーソナリティーとしても活躍。主な著書に『70歳からの人生相談』(文春新書)など。
【出演中】
『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(TBSラジオ)
『金曜ワイドラジオTOKYO「えんがわ」』(14時~17時30分)内で毎月最終金曜放送。1969年10月6日に放送を開始し、今年で56年目を迎える公開生放送番組。合計放送回数は1万3000回を超える。
取材・文/植木淳子
※女性セブン2025年3月20日号