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萬田久子さん&神津はづきさんが語る“推し活”「誕生日に花束を持ったヒロミ・ゴーが玄関に立っていた」、パートナーが仕掛けたサプライズと“男性の面白い心理”

神津はづきさん(左)と萬田久子さん(右)
写真2枚

神津:それ、うちの父もよくやっていた。ママがちょっと“あの人いいわ”なんて言うと、必ず自分が先に親しくなって、サプライズでコンサートに招いたりするの。で、ママがいつも“またパパにやられた!”って(笑い)。

萬田:あはは! なんだろうね。男の人の面白い心理よね。

神津:ちょっと女々しいというか。

萬田:はーちゃん、そう言ったらおしまいだ(笑い)。

神津:へへ。でもリッキーさんが誘ってくれたおかげで、またヒロミ・ゴーのコンサートに参戦するきっかけができたから、感謝もしているのよ。

〈萬田さんは1987年、アパレル会社社長との間に長男を出産。長男を交えた3人で同居し、事実婚を貫いた。パートナーの病により、2011年に死別している。〉

萬田:愛しの郷さんの推し活もそうだけど、子育て中は私たちもほとんど会っていなかったわよね。お腹が大きい姿はお互いに見ていないし、子育ての時期はやっぱり、ママ友との情報交換が生活の中心で疎遠になった。

神津:うん。何回か会う機会がささやかにあったかなくらいで、こうして頻繁に会うようになったのは、子供たちが大きくなってからですね。若かった私たちも60代になったけど、萬田さんは109歳まで生きる予定だから、まだまだ時間はたっぷりある。

萬田:なんと余命43年よ(笑い)。9のつく年齢が、私にとって節目になってきたのよね。19歳でミス・ユニバースの日本代表に選ばれて、29歳でニューヨークで出産、39歳で初舞台、49歳でイギリス遊学、59歳でホノルルフルマラソン……。69歳はまだヒ・ミ・ツ。人生100年時代というなら109歳まで生きようじゃないの、って。

神津:それを聞いて思い出した。

萬田:ディーン(・フジオカ)の話? 彼にこの話をしたら、うれしそうに「ぼく、今43歳ですよ」って。あら、43同士で奇遇ねと盛り上がったんだけど、「来年には、あなたは44歳になって、私は余命42年になるわ」なんていう話のことでしょ。

神津:すれ違いで、この先はこちらの残りが減っていくから。

(第5回に続く。第1回を読む

【プロフィール】
萬田久子(まんだ・ひさこ)/1958年大阪府生まれ。短大在学中にミス・ユニバース日本代表に選出され、1980年にNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』で女優デビュー。以来、主演を含む多くのドラマに出演し、映画、舞台でも活躍。2023年『グランマの憂鬱』では主演を務め話題に。長年さまざまな雑誌やメディアで唯一無二のファッションアイコンとして注目され、近年は自身のインスタグラム(@hisako.manda_official)で披露している私服ファッションにファンが多数。

神津はづき(こうづ・はづき)/1962年東京都生まれ。東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨークへ留学。帰国後、母・中村メイコさんの後を継いで女優となる。1992年、俳優・杉本哲太と結婚。一男一女の母。現在は月に2回ほど刺繍の先生をするほか、本物の大人に必要なアイテムを制作しようと受注ブランド『Petit Tailor R-60』を展開中。今後の夢は盛りだくさん。インスタグラム(@hazukitoito)では楽しい刺繍作品を披露している。

構成/渡部美也 撮影/浅野剛 ヘアメイク/黒田啓蔵

※女性セブン2025年4月17日号

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