宮沢りえ、長い沈黙を破って“りえママ”について語った「本来の姿ではない母がSNSの中を重そうに泳いでいる」 毒母と叩かれていたのは“虚像の母”、41年目の叫び
「異常なんじゃないのかしら」
批判の声は長く収まらなかったが、光子さんは自分の信じた道を変えることはなかった。
1992年に光子さんが雑誌『DENiM』に寄稿したエッセイでは「りえの現在の恋人は(ビート)たけし氏だ」と書いた上で、娘の男女関係に立ち入った発言をし、物議を醸した。
《聞けば、たけし氏とりえはキスさえもまだみたいなのだ。男と女が好き合って、それがキスやセックスというカタチで求め合うのであれば、それは当然の行為で自然の営みだと私は思う。逆に、そうしないほうが異常なんじゃないのかしら》

この交際の真偽は不明に終わったが、直後、再び熱愛で世間を騒がせる。1993年の貴乃花(当時は貴花田)との婚約即解消騒動だ。このときも光子さんが暗躍した。
「角界のしきたり通り、芸能界を引退して女将さんになることを望んだ貴乃花サイドに、光子さんは猛反発。父親の顔を知らずに育ったりえさんにとって母は絶対的な存在で、どんな決断をするにも光子さんの賛成が必要でした。結局、光子さんの意向で世紀の婚約は流れたといわれています」(前出・芸能関係者)
だが、りえが成人した頃から、“母子癒着”には翳りがみられ、1994年にりえが自殺未遂騒動を起こしたことを転機に、母と娘は次第に離れて暮らすように。それでも亡くなる5年前の2009年には、前夫との間にできたりえの長女を光子さんがあやす姿が見かけられた。
「ヌード撮影や男性との交際に待ったをかけたり、抵抗したりする芸能人の親が多いなか、光子さんはむしろ積極的に支えた。コンプライアンスが厳しい現在なら、さまざまな手段で子供の人生をコントロールし、時に“性的な搾取”だと声が上がるような光子さんの言動は、許されないやり方だと言われても仕方がないでしょう。でも、彼女のプロデュース力があったから大スター・宮沢りえが育ったのも事実。りえさんはそれを誰より理解しているからこそ、世間のあらぬ声に“本当の母は違うんだ”と言いたい気持ちを抱えながらも、これまではぐっとこらえていました」(別の芸能関係者)
2016年にりえは前夫と離婚し、2018年に森田剛(46才)と再婚。

デビュー41年目を迎え、現在は自分の意思で仕事を選ぶようになったりえが、長い沈黙を破って冒頭のように強い口調で母を擁護した背景には、長女の存在があるという。
「りえさんの娘が5月で16才になるんです。りえさんがカレンダーや『サンタフェ』を撮影した時期と重なるだけに、思うところもあるのでしょう。年頃の娘を持つ母として、りえさんはこれまで母がしてくれたことが、少なくとも自分にはプラスになったと感じています。そんな大切な人を、他人からジャッジされることに我慢ならなかったのです」(りえの知人)
りえの「心の叫び」は光子さんにどう聞こえているだろうか。
※女性セブン2025年5月1日号