
ライター歴は30年を超えるオバ記者こと野原広子氏(68歳)だが、そのうち3年間、芸能人のマネージャーをしていたことがある。その芸能人というのが林家ペー・パー子さんだ。約25年ぶりにペーさんと再会したきっかけと、会って感謝を伝えたかったこととは?
* * *
突然、編集部に届いた1本の電話
「野原さんと会いたいんだけど」と唐突に女性セブン編集部に電話をくれたのはご存知、林家ペー師匠。そりゃあ、若い編集嬢は驚くって。「林家さんってどちらの林家さんですか?」と要領の得ない対応をされたとぺーさんは笑うけれど、編集嬢からしたらまさかホンモノだとは思わないって。
驚いたのは編集嬢だけじゃない。私もそうよ。何せぺーさんからの連絡は25年ぶりだもの。それでも電話で話せば一気に空白は消えて「今夜から浅草演芸ホールに10日間、出演するから来ない?」「明日、行きます!」で再会となった。
なんで? だよねぇ。実は私、ぺーパーのマネージャーだったことがあるの。“四十にして惑わず”どころか惑いっぱなしの40歳の時、毎週、取材で会っていたぺーさんにある相談ごとをしたのよ。そうしたら「しばらくアルバイト感覚でうちのマネージャーをしない?」と誘っていただいて、それから3年間ぴったりくっ付いたわけ。
車内で見た漫才のような夫婦げんかライブ
マネージャーとはどんな仕事をするか、一からペーパーに教えてもらったのだけど、テレビ出演やら地方のロケや営業やら、毎回、マネージャーとしてやるべきことが違う。うまくいったりいかなかったりするけれど、それも面白かったんだよね。都内のテレビ局に行く時はぺーさんが車を運転して私のアパート近くまで迎えに来てくれて道々、助手席のパー子さんと掛け合い漫才のような夫婦げんかライブ。これがまぁ、おかしいのなんの。

思えば私がふつうのライターからオバ記者になったのはペーパーの芸を身近で見たからで、そのことに気づいたのは2人と会わなくなって何年もたってからだ。
「いつか会うことがあったらぜひお礼を言いたいと思っていたんですよ」と、高座を終えたぺーさんにドトールコーヒーで言うと「えっ、どんなこと?」と目を丸くする。
ふだんの姿とテレビに出演している時と、ペーパーはほとんど変わらない。おそらくアガることもないんじゃないか。そう思っていたけど、だんだんわかってきたのよね。おふたりとも本番に向けて少しずつギアをあげていく。で、カメラが回ったとたんパンと弾ける。その手順を知らず知らずのうちに目が覚えるのよ。昔の芸人が付き人をするにはそれなりの理由があったんだなと、カメラの前で変顔をしながら、ふたりを思い出したの。
ペーさんが一冊のアルバムを差し出した
それだけじゃない。マネージャーとして見るテレビ局や寄席の楽屋は記者として入るのとは大違いでね。良くも悪くも生々しいの。テレビのスタッフのやり取りとか、タレントとマネージャーのコソコソ話とか。それに時の人が発する光とか。当時、人気絶頂だったモーニング娘。が次のスタジオに行くのに廊下を走り抜けたときは、光が飛んでいくみたいだったもんね。

「ほんと、あの頃からジャーナリストとして認識していたけど、ますますご活躍でねぇ。ほんと、すごいよ。はい、これ渡したいと思っていたんだけどなかなか機会がなくてね。ほんと、なつかしいねぇ」
ぺーさんは一冊のアルバムを差し出した。開いてみるキャーッ、40歳から43歳までの私がいる! 痩せてるし、そこそこ綺麗だし、何より楽しそうじゃないの。こんな時を切り取ってくれたのが、カメラ芸人の林家ペーパー子って、私はどんだけ果報者なのかしら。
聞けばぺーさんは今でもカメラ屋のラボコーナーで写真を選んで紙焼きにしているそうだけど、最盛期は1か月に払ったのは100万円単位だったというんだから並じゃない。
そのぺーさんがコーヒーを飲みながらこの日の高座でギターをミスしたと言う。
「あ、しまったってそればっかりよ。なかなか思うようにいかなくて、それがまた悔しくてね」って、もう涙が出るわ。何歳だからどうだとか、考えるだけ野暮。生きている限りは今日より明日と、ピンクの人から教わることはまだまだある!

◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【367】自称“演説声マニア”のライター・オバ記者、ロックオンしたのは共産党・田村委員長 注目した意外な経歴