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《人間国宝という人生》琉球舞踊・志田房子「いままで続けられたのは、琉球舞踊という舞台芸術をただひたすらに追い求めてきたから」平和を願い、これから先も舞い続ける 

琉球舞踊を踊り続ける志田房子
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歌舞伎の世界を描いた映画『国宝』が大ヒットとなっている。そこで注目されたのは、「人間国宝」という頂に挑む人生だ。知られざる人間国宝の人生とはどのようなものなのか──。

「私にとって舞うことは祈ることと同じ。琉球舞踊は自然の神々に仕える女性たちの祈りの所作が源流といわれています」

15世紀から伝わる琉球舞踊の舞踊家・志田房子(88才)は、舞台の上と同じ凜とした口ぶりでそう語る。2021年に人間国宝に認定された彼女が琉球舞踊を始めたのは3才の頃だった。

「明治生まれの母のすすめで、琉球の團十郎といわれた名匠の玉城盛重に入門しました。でも、7才のときに沖縄戦が始まって……。稽古どころか生きることで精いっぱいの毎日で、有形無形の多くのものが失われました」(志田・以下同)

琉球王朝時代から受け継がれる古典舞踊「諸屯」を踊る志田房子
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師匠が戦争で亡くなるも志田は戦後も舞台に立ち続け、焦土に咲いた希望の花として現地で一躍有名になる。25才で結婚後、東京への転居を機にひとときは踊りから離れようともしたが、上京後に考えが一変した。

「当時は沖縄返還前で、行き来をするのにも日本渡航証明書が必要でした。上京後、沖縄の文化や歴史に対する人々の理解が低かったことにショックを受け、琉球舞踊家としてその価値を広めていく責任を強く感じました。国立劇場などの舞台に立つ傍ら、草の根の活動として子供たちが通う幼稚園でも舞踊を披露することもありました」

以降、東京を拠点に踊り続ける志田の思い出の舞台は、東京・半蔵門の国立劇場だ。

「1967年のこけら落とし公演を皮切りに何度も国立劇場の舞台に立ち、2023年の閉館時の特別公演には上皇ご夫妻にもお出ましをいただきました。老朽化による建て替え計画が進まず、伝統芸能の継承に空白期間が生じているのが気がかりです。映画『国宝』が注目されるいまこそ、再開場の機運が高まってほしい」

1955年、米ハワイを訪れ、琉球舞踊公演を催した際に販売したサイン入りのブロマイド。少女時代より「根路銘房子」の名で、名をはせた(根路銘は旧姓)
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悲惨な戦争を経験した志田は、現在のウクライナや中東の戦況に心を痛める。

「戦後の沖縄では芸能が人々の心のよりどころとなり、復興を支えました。私も焦土の中で大勢の観衆に喜んでもらった日のことをよく覚えています。そのおかげで今日の私があるのです。だからこそ、いまも戦禍の中で文化を享受できない人々がいる状況を思うと胸が痛みます」

舞うことは祈ること──平和を願う人間国宝はこれから先も舞い続ける。

「いままで続けられたのは、琉球舞踊という舞台芸術をただひたすらに追い求めてきたから。そして日本国の重要無形文化財である琉球舞踊を、次世代につないでいくために、人間国宝の認定はマラソンの給水所のような心持ちで、この先も道が続いているという励ましだと思っています」

【プロフィール】
志田房子(しだ・ふさこ)/1937年、沖縄県生まれ。幼少より、琉球舞踊の大家・玉城盛重に師事し、1944年に「むんじゅる」で初舞台に。芸歴は80年以上に及ぶ。2021年に「琉球舞踊立方」で人間国宝に認定。

※女性セブン2025年7月24日号

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