
入退院を繰り返しながらの闘病の末に亡くなった中山麻理さん。三田村邦彦との結婚を機に一時引退するも、泥沼離婚を経て復帰。以前と変わらぬ存在感を見せたが、彼女は人知れず表舞台から遠のいた。その晩年とは──。【前後編の後編。前編を読む】
ドラマ『サインはV』(TBS系)などで活躍した女優の中山麻理さんが7月12日に亡くなった。77才だった。『サインはV』でブレークした中山さんは、以降、多くの話題作に出演して人気女優の地位を確立したが、映画『限りなく透明に近いブルー』(1979年)で共演した三田村邦彦(71才)と1980年に結婚して芸能界を引退した。
しかし1996年に写真週刊誌が三田村と22才年下の女優・高橋かおりの不倫デートを報じられると、夫婦で訴訟合戦を繰り返す泥沼離婚劇に発展。最終的には、中山さんの意向で、“三田村からの慰謝料はゼロ”“息子3人の親権は中山さんが持つ”ことで、不倫発覚から3年が経過した1999年に離婚が成立した。
時給850円のレジ打ち
51才にしてシングルマザーとなった中山さんは、子育てに奮闘。毎朝息子たちの弁当を作り、最寄り駅まで見送る生活が続いた。
「離婚後、中山さんは三田村さんと会うことはありませんでしたが、子供たちと父親の交流を制限することはなかった。“許せない”という気持ちはあっても、息子にとっての男親の重要性を理解していたのでしょう。長男が父親姓の“三田村瞬”、三男が母親姓の“中山麻聖”の名前で俳優の道に進みましたが、三田村さんは彼らにアドバイスを送っていました」(芸能関係者)
気持ちに蓋をし、常に子供を優先してきた中山さんは、麻聖の20才の誕生日に突然「母親卒業」を宣言した。成人したばかりの麻聖に対し、「これからは食事も洗濯も掃除もひとりでやりなさい」と告げたという。
「自分の時間を増やして、女優業に力を入れたいという思いもあったようです。ただ60才を過ぎていたこともあって、オファーは年配の役ばかり。中山さんは“年寄りの役はやりたくない”と断ることも多く、次第にオファーが減っていった」(テレビ局関係者)

母親を卒業してから2年後、中山さんが立っていたのは意外な場所だった。
「オーナーが知り合いだったこともあって、自宅から徒歩1分ほどの距離にあるコンビニで、レジ打ちのアルバイトをしていたんです。芸能活動を再開したはずの彼女がバイトする姿に違和感もありましたが、俳優としてのオファーがないなかで、“ダラダラと過ごしたくない”と考えたのがきっかけだったようです。時給は850円で、9時間立ちっぱなしの日もあったとか。ほぼ毎日出勤して、3年以上働いていました」(中山さんの知人)
時折まとまった休みを取り、テニスの世界大会やミュージカルを見るために、ひとりで海外旅行に出かけたこともあったという。
長男と次男(一般人)が結婚して家を出て以降は、2003年に購入した東京・世田谷区のマンションで、麻聖と2人で暮らしていた。
「長男と次男も子宝に恵まれて、中山さんは孫を持つおばあちゃんでもありました。定期的に自宅を訪ねてくる孫の成長を、中山さんはにこやかに見守っていたようです。最近は“子供全員と一緒にいられるのだから、あのタイミングで離婚してよかった。孫にも会えたし、お金よりも大事なものを得られた”と、よく友人らに話していましたよ」(前出・中山さんの知人)
波瀾万丈な人生を送った中山さんの晩年は、“V字回復”と言えるほど幸せで、穏やかだった。
※女性セブン2025年8月14日号