
NHKでスタートした連続テレビ小説『ばけばけ』で物語の舞台となるのは、モデルとなった、文豪・小泉八雲、妻セツが暮らした島根県の松江市。情緒あふれる街並みや、2人が生きた時代に思いを馳せながら、名所やグルメなど、ゆかりの地巡りを。この秋の旅先候補にもおすすめです。
怪談を愛する夫婦の何気ない日常を描いた連続テレビ小説『ばけばけ』

連続テレビ小説『ばけばけ』は、松江の没落士族の娘・小泉セツと、夫ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がモデルの物語。明治時代の松江で「怪談」を愛した夫婦の日常生活を描く。
松江に住む怪談好きの少女・松野トキは、外国人英語教師の家での住み込み女中の仕事を紹介される。外国人への偏見もある時代だったが、トキは生きるため、そして自分の世界を変えるため、女中として働く決意をする…。

■連続テレビ小説『ばけばけ』
NHK総合 月~土 午前8時~ ※土曜は1週間の振り返り
『ばけばけ』モデルとなった《文豪・小泉八雲&妻セツを知る》

八雲の執筆活動を支えた妻のセツ。八雲は「世界で一番良きママさん」と感謝していたという。
小泉八雲は日本人?

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1850年にギリシャ人の母とアイルランド人の父のもとに誕生。その後、日本人の小泉セツと結婚し、1896年、妻の戸籍に入る形で日本国籍を取得。帰化して「小泉八雲」となった。
写真は39歳頃。左目を失明している八雲は、多くの写真で左向きで写っている。
八雲が松江に来たきっかけは?
アメリカで新聞記者をしていた八雲は『古事記』に出会い、日本行きを切望。39歳の時に日本に関する記事を書くために来日したが、当時日本では英語教師が不足していたことから、島根県松江の尋常中学校で教えることとなる。

小泉八雲の日本名の由来は?
出雲の国を詠んだ和歌の枕詞「八雲立つ」の神秘的で美しい響きに惹かれたことから、「八雲」という名前を選んだとされている。
八雲とセツの出会いは?
日本での暮らしに不慣れな八雲のもとで、松江藩の旧家に生まれたセツが住み込みで働くことに。セツは日常生活のサポートを通して、八雲の心を支えたため、深い信頼関係が生まれ、1896年に正式に結婚。結婚当初セツは八雲に英語を教わり、英単語帳を作ったり、松江に伝わる不思議な話や日本の民話、八雲のために新たに説話を集めては語り聞かせて八雲の執筆活動を支えた。

20歳頃のセツと、八雲の発音する英語を聞き返しながら、セツがメモした英単語帳も。聞き取っている様子が目に浮かぶよう。

八雲の人柄は?
八雲は、西洋中心の価値観にとらわれることなく、異文化やさまざまな事象に対して偏見なく接する“開かれた精神(オープン・マインド)”の持ち主だったそう。明治時代の日本文化や人々の精神も深く理解していた。

島根県立美術館そばの岸公園には、モニュメント「オープン・マインド・オブ・ラフカディオ・ハーン」も。角度によってハートや鳥のようにも見える。
八雲とセツのその後の人生は?
松江で約1年3か月を過ごし、熊本、神戸、東京と移り住む。その間に4人の子どもに恵まれた。八雲が心臓発作で亡くなる1904年まで、2人が共に過ごした期間は約14年間と意外に短かった。
小泉八雲、セツ、長男一雄の家族写真も。八雲は比較的小柄で身長は157cmほどだった。

八雲と過ごした日々を夫の没後に回想した口述筆記での記録『思い出の記』(著・小泉節子)は、二人の生活がより鮮明に見えてくる。

なぜ怪談を書き出したの?
セツや地元の人々から聞いた話の中に日本の大切な心や文化を感じ取って興味を抱き、『怪談(KWAIDAN)』を執筆。アメリカで出版された。

【人物年表】小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
1850年:ギリシャ・レフカダ島で誕生
1852年:アイルランドへ移住、大叔母のもとで育つ
1869年:アメリカに移住。ジャーナリストとして活動開始
1880年代:ニューオーリンズ、カリブ海(マルティニーク島)で取材・執筆活動
1890年:万博で出会った日本文化、英訳『古事記』などの影響で来日を決意し日本へ。松江に英語教師として赴任
1891年:松江で小泉セツと出会う
1896年:セツと正式に結婚。日本に帰化し、名を「小泉八雲」とする
~1900年代:熊本・神戸・東京で英語教師、作家として活動。『知られぬ日本の面影』や、「耳なし芳一」「雪女」 「ろくろ首」ど日本各地の民話を文学作品にした『怪談』など日本文化を紹介する著作を発表
1904年:東京で心臓発作のため死去(享年54)
※小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、松江では親しみを込めて「ヘルン」の愛称で呼ばれていた。記事内では、日本名「八雲」で統一。
小泉八雲と妻・セツの《ゆかりの地を巡る》
八雲とセツが暮らした美しい庭の武家屋敷「小泉八雲旧居(ヘルン旧居)」

庭のある侍の屋敷に住みたいという八雲の希望から、旧松江藩士の武家屋敷にセツとともに約5か月間暮らす。部屋には、愛用の机と椅子(レプリカ)があり、座って八雲の視界を体感できる。
旧居には、著書『知られぬ日本の面影』の第16章「日本の庭」の舞台となった三方に庭が見える部屋や、八雲が好んで眺めた庭などが当時のまま保存されている。
左目を失明、右目も極度の近視だった八雲はこの机を特別注文。メガネをかけなかった八雲は、高い机で原稿に顔を擦り付けるように仕事をしていた。

キセルがお気に入りだったという八雲が愛用した喫煙小物も残っている。


■小泉八雲旧居(ヘルン旧居)
住所:松江市北堀町315
入場料:400円
「小泉八雲記念館」
館内では八雲が見た日本の風景や、人々との交流、怪談への関心などが分かる展示が並ぶ。松江出身の俳優・佐野史郎さんの朗読による、八雲が再話した山陰地方の5つの怪談も楽しめる。

八雲がアメリカから来日の際、実際に所持していたトランクとボストンバッグ。

■小泉八雲記念館
住所:松江市奥谷町322 600円
江戸時代の面影残る塩見縄手

塩見縄手にある来日百年記念の八雲胸像は、めずらしい正面からのお顔。

小泉八雲旧居や記念館をはじめ、武家屋敷風の家が並ぶ。通りに面して連続する門、塀、老松、堀川などが相まって、松江で最も城下町らしい風情を残す場所。