
やっとのことで女性初の総理大臣が誕生し、日本社会における女性の立ち位置も大きく変化しつつある。それは教育の場においても同様だ。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子氏が、日本の“良妻賢母教育”の終焉について綴る。
日本女子大の家政学部が2028年までに廃止
「世の中、変わったねぇ」なんて言うと、いかにも自分が年寄りになったみたいでイヤなんだけど、それでもさすがに、こればかりは……。ほかでもない、「日本女子大、2028年度までに家政学部を廃止」というニュースよ。日本女子大学といえば通称「本女(ぽんじょ)」で、東京女子大学は「東女(とんじょ)」と言って、女子大の二代巨塔だったのよ。「えっ? 家政学部なんて学部がまだあったの?」という声があることは、はい、存じていますとも。
とはいえよ。1901年の創立以来続いてきた家政学部、つまり良妻賢母教育がもうすぐ終わるんだよ。これぞ歴史の転換点じゃないの?―と、家政科の末端(?)で学んだ私は見過ごせないんだわ。
もっとも、私が卒業したのは「茨城県立真壁農業高校 生活科」で、同じ良妻賢母でも農家の良妻賢母を育成する高校。女子大の卒業生から「一緒にしないで」と怒られるかしら。だけど、「女の幸せは家庭にあり」という考えのもと、裁縫と料理、育児をしっかりとやって家計簿をつけるという女子教育の基礎は一緒。まさか、それがどれだけ時代に合わなくなっていったかの生き証人になるとは思わなかった。
が、女子教育の価値は年々、ダダ下がりしていったわけではないの。逆にバブル期から2000年くらいまでは、「本女・東女の時代」でね。東大、一橋、早慶の男たちが合コンしたがったツートップだったことを、当時30代の記者だった私は間近で見てきた。
女子大を卒業しても就職なんかしないで、テニス・茶道・外国語などの習い事をして、九時五時で働く女性よりずっとオシャレをして人前に出てくる「家事手伝い」、通称「かじてつ女」が男たちの憧れの的だったんだよね。それだけ実家が裕福ということだもの。
もちろん、マスコミに登場したそういう女性はほんのひと握りで、それだって話を聞くと、「一応」とか「とりあえず」の連発で、そんなに幸せそうには見えなかった。けど、出世競争をする男を後方支援する良妻賢母という表看板が最後の光を放っていたんだよね。2000年くらいまでは「それもアリ」という感覚が社会全体にあったように思う。それがなぜ「男女ともみんな働く」に変わったのか。
働き手も主婦もそれなりの器量がないととてももたない
わが身に引き寄せてみると、18才で靴店の住み込み店員として上京した私は、「働かざる者、食うべからず」の“働きアリ女”だから、最初から世間がいう良妻賢母にはなりようがない。でも、それでも密かに「主婦」には憧れたんだわ。もっといえば、安定した収入の男と結婚して、私は私でライターで稼いだらバッチグー、なんてね。
結婚にくっついてくる姑とか小姑とか、自分の価値観と相容れない人たちと生活をするのがどれほど苦痛か、考えもしなかったのよ。それで結婚生活4年で逃げ出した20代。なのに懲りずに40代、50代と節目節目に婚活をしてきた私。そのときのウリはいつも一緒で、「趣味は料理と裁縫。ライターは家にいてもできる仕事です」。男の良妻願望に訴えたんだよね。それでも玉砕ってどういうこと? と、そのときは憤慨したけれど、いまにしてみればよくわかる。私が自分の気ままなライフスタイルを変える気なんかさらさらないのは、2、3度会って話せばどんなボンクラ男だってわかるんだって。

ま、自分がやるやらないは別として、家に1人、働く人を助ける主婦(または主夫)がいると生活の質がぐっとアップするのは明らかよ。でも人は愚かだから、外で嫌なことがあると、「家にいる人はいいな」とか「お金稼ぐのは大変だよ」とか言わなくてもいいことを!
つまり、働き手も主婦もそれなりの器量がないと、とてももたないのよね。
そんな愚にもつかないわが人生を振り返りながら、ぼーっとテレビの国会中継を見ていると、画面の中央に陣取るのは高市早苗首相(64才)と片山さつき財務大臣(66才)。どちらもバツイチで再婚して子供はいない。ということからして勝手に親近感よ。さらに小野田紀美大臣(42才)は「国家と結婚した」と言って未婚だって。
ここ数年、「女性初の総理大臣」の椅子に誰が座るかという話題が総裁選のたびに出てきたけれど、この3人の顔ぶれを見ると、女性、女性と騒いでいたことがバカバカしく思えるほどの安定感だ。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2025年12月11日号