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《活動終了直前》嵐、大ブレークまでの軌跡「あいつらすごいよ。最高だよ」いかりや長介さんの大絶賛が転機となり、冠番組のチャンスを掴んだ

グランドフィナーレを迎える嵐(インスタグラムより)
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 5月31日の東京ドーム公演でいよいよグランドフィナーレを迎える嵐。国民的グループとなるまでの道のりは、全て順調ではなかった。【全3回の第2回】

 嵐は、V6やKinKi Kids(現DOMOTO)のバックを務め、下積みを経験した後に華々しいデビューをつかみ取った。しかし、後に国民的グループと呼ばれるまでの道程は決して平坦なものではなかった。

「フジテレビで放送されたバレーボールのワールドカップのイメージキャラクターとして集められた5人が、ハワイでお披露目会見を行ったのは1999年。デビュー曲『A・RA・SHI』はミリオン寸前の大ヒットを記録したものの、勢いは長く続かず失速。2000年リリースの3曲目のシングル『台風ジェネレーション』は、旧ジャニーズ事務所で絶対条件とされていたシングルチャートの1位を取ることができませんでした。

 当時、コンサートを見に来た事務所の幹部は『こんなに寒いコンサートは初めてだ』と皮肉を込めて言い、彼らはいっそう落ち込んだそうです。大野智さんはその頃から芸能界を辞めたがっていたし、大学生だった櫻井翔さんも留学や就職の道を考えていたといいます」(前出・別の芸能関係者)

 旧ジャニーズ事務所の元タレントが語る。

「あの頃の嵐には、ほかのグループと違って『絶対に売れてやる』という気概がなかったですね。当時まだジュニアだった滝沢秀明さんの方が圧倒的に人気があったので、事務所内でも嵐はタッキー&翼が売れるまでの“つなぎ”だろうなんて言われていたんです。本人たちも何で自分が選ばれたのかわからないという顔つきで……。その後も苦労続きだったし、ここまで売れるとは誰も予想していなかったと思います」

 メンバーの親族もこう振り返る。

「松本潤くんと相葉雅紀くん、二宮和也くんの3人は、ジュニアの頃から舞台に出ていたのでまだいい方ですが、櫻井くんと大野くんは日の目を見るまでに4、5年かかっているんです。

 そろそろ潮時かというときに、デビューの話がきて、そこから人生が一変した。当時の事務所は本物志向で、歌も演技もプロに直接教えてもらえました。生きた言葉に触れることが、彼らにとってもいい刺激になったようです。それまでは普通の子供たちだったのが、大きな仕事が決まったあたりから見た目も意識も見違えるほど変わりましたからね」

 デビュー後も大きなチャンスをつかめずにいた5人に転機が訪れたのは2001年。深夜帯ながら初の冠番組『真夜中の嵐』(日本テレビ系)がスタートしたのだ。

2001年、初の全国ツアーを実施した当時の嵐
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「松本さんが滝に打たれたり、相葉さんが自転車で雪の中を疾走したり、バラエティーに不慣れな5人が、文字通り体当たりで企画に挑戦する姿が感動を呼び、高い評価を受けました。

 いまほどの人気も知名度もなかった彼らが冠番組を持てたのは、実はいかりや長介さんのおかげなんです。嵐のコンサートを見たいかりやさんは『あいつらすごいよ。最高だよ。MCがいい。仲もいい』と大絶賛。その言葉を聞いた事務所の幹部が感激し、彼らの売り出しに本腰を入れるようになったといいます」(テレビ局関係者)

 嵐にとって仰ぎ見る存在だったSMAPが「平成のドリフターズ」を目指していたことはよく知られているが、“本家”からお墨付きをもらった嵐の成功は約束されたようなものだった。

 さらに2005年には松本がドラマ『花より男子』(TBS系)に出演して大ブレーク。翌年、二宮が映画『硫黄島からの手紙』でハリウッドデビューを果たし、俳優としても存在感を増していった。

「ほかのメンバーも活躍の場を広げ、相葉さんは2004年から『天才!志村どうぶつ園』のMCを務め、櫻井さんは2006年に『news zero』(ともに日本テレビ系)のキャスターに抜擢されています。大野さんは早い段階から芸術の才能を評価され、アート作品集を制作したり、個展を開いたりして、次々に個性的な作品を発表していました」(前出・芸能関係者)

(第3回へ続く)

※女性セブン2026年6月11日号

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