予定日は絶対に口外しないことを決意
そして迎えた1999年12月10日、朝日新聞の一面を衝撃的な見出しが飾った。
《雅子さま 懐妊の兆候》
このスクープに世間は騒然としたが、宮内庁は20日後に雅子さまが稽留流産と診断され、流産の手術を受けられたと公表。この一件は雅子さまの心身に相当な痛みを与えるものとなった。失意の出来事から1年ほどが経った2001年3月1日に、東宮職御用掛に任命されたのが堤さんだった。
「当時の雅子さまにいろいろなストレスが積み重なっていたことは言うまでもありません。それでも初めてお会いした日、2時間に及ぶご進講で妊娠の仕組みなどを説明したところ、雅子さまはうなずきながらメモを取られ、陛下も真剣に耳を傾けてくださった。理解が進むにつれて、お二人とも安堵されたのか、明るく前向きな表情が見えてこられたので、すぐによい結果が得られるはずだと確信しました」(堤さん・以下同)

直感通り、堤さんの着任からほどなくして雅子さまは新たな命を宿し、2001年5月15日、東宮大夫が正式にご懐妊を発表した。妊娠の発表に際し、堤さんが細心の注意を払ったのが「出産予定日」に関する情報管理だ。
「1999年の妊娠報道では、妊娠週数や分娩予定日まで漏洩し報じられたことで、世間の期待感が雅子さまにとって“負担”になった可能性もありました。今回は万が一にも情報が漏れないよう、予定日は絶対に口外しないことを決意。私を御用掛に推挙してくれた川口政行東宮侍医長に聞かれても『両殿下にはご報告申し上げております』の一点張りで通しました」
上皇ご夫妻から直接出産予定日を尋ねられたこともあった。しかし「両殿下に申し上げております。両殿下からお聞きいただけますか」とだけ述べて沈黙を貫いた。
「いまにして思えば、大変な無作法をしてしまったとおわびのしようがありません。でも当時は雅子さまをお守りするために、そこだけは誰が相手でも曲げるわけにはいかない、その一心でした」
(後編へ続く)
※女性セブン2026年6月25日号