「生まれてきてありがとう」
2001年11月30日深夜、雅子さまは陛下に付き添われて宮内庁病院に入院。翌朝、陣痛が始まり、昼近くに痛みが強まった。その時点で雅子さまは陛下と共に、陣痛・分娩・回復の機能を統合した「LDR室」に歩いて移動された。
「そこからしばらくしていよいよ出産が近づいたので、陛下には別室でお待ちいただくことにしました。そうこうするうちに子宮口が10cmに開き、赤ちゃんの頭が骨盤の中を下がって分娩が進行してきました」
出産に向けて最終段階に入った雅子さまに、堤さんは「息を大きく吸って」「はい、息を止めていきみましょう」などと呼びかけ続けた。そして出産直前、「次、生まれますよ」とお伝えすると雅子さまはしっかりとうなずかれたという。
「スタッフの間に緊張感が漂うなか、雅子さまは最後のいきみに全力で取り掛かられました。そのお姿とLDR室の雰囲気を言葉で表現することは難しいのですが、それまでのお産では経験したことがなかった荘厳さを感じました」
そして12月1日午後2時42分、愛子さまが産声をあげられた。「生まれてきてありがとう」—雅子さまは生まれたばかりの愛子さまにそう言葉をかけられたという。堤さんは必要な処置を終え、別室で待機されていた陛下をLDR室にご案内した。
「雅子さまにねぎらいの言葉をかけられた陛下にもさっそく赤ちゃんを抱っこしていただきました。新生児を抱く機会はそうそうありませんから、緊張のあまり肩に力が入っておられましたが、陛下は赤ちゃんをじっと見つめ、大きな喜びをかみしめておられました」
退院前日の12月7日、皇居で「命名の儀」が執り行われた。両陛下は「人を愛し愛され、人を敬い敬われる人になってほしい」との願いから「敬宮愛子」を第一候補にされていた。皇室には、「天皇が候補の書かれた紙に爪で印を付ける」という古来の命名の習わしがある。
「上皇さまと事前にご相談されていたと思いますが、それでもお二人は命名の儀を終えるまで非常に緊張されていた。無事に望み通りのお名前に決まったときは出産時と同じくらい感無量な表情をされていました」

12月8日の退院時には、雅子さまは「お産がとても楽しかった」という言葉を残されたという。その後、両親からの愛情をたっぷりと受けてすくすくと育った愛子さま。学生時代は登校が困難になったり、ご体調に波がある時期もあったが、2024年春に学習院大学を卒業されると、日本赤十字社での勤務と皇族としての務めを存分に果たされている。公務で地方を訪れるたびに「愛子さまフィーバー」を巻き起こす愛子さまの片鱗は、1才の頃から見えていたと堤さんは振り返る。
「愛子さまの1才のお誕生日に際して東宮御所でお茶会が開かれ、当時の医師や関係者が集まったことがありました。その日のハイライトは愛子さまの『ご入場』。手押し車を押しながら歩く愛子さまは人見知りすることなく、にこやかな笑顔を振りまかれていました。そのときからオーラを放たれていたように感じます」
世紀の出産に立ち会った堤さんは、貴重な記録をまとめた書籍『堤ノート 愛子さま誕生までの300日』(小学館)を刊行した。平成皇室の幸福なひとときが、いま鮮やかによみがえる。
※女性セブン2026年6月25日号