
2001年12月1日。宮内庁病院で待望の赤ちゃんが元気な産声を上げた。世紀のご出産に心を尽くし、両陛下に寄り添ったのが、東宮職御用掛として雅子さまの主治医を務めた産婦人科医の堤治さんだ。堤さんが、愛子さま出生秘話を明かす。【前後編の後編】
「性別を調べて知らせる必要はない」
妊娠中、雅子さまの母子手帳には毎日同じ時間に測定したと思われる体重が正確に書き込まれ、堤さんが「30分ほど散歩をしてください」と指示すると、きっかり30分歩かれた。
公務のかたわら、お腹の中の赤ちゃんを慈しみ、出産までの毎日を健気に過ごす。そんな雅子さまの姿を見て堤さんは思わず涙することもあったという。そんな堤さんがいまもよく覚えているのが那須御用邸で過ごした日々だ。両陛下は妊娠中に那須で5月と8月の2度静養され、堤さんも同行した。
「万が一に備え、事前に地元の大学病院と相談して臨みました。広大な邸内を両陛下と私とで散策することもあり、段差があるところで陛下が優しく『気をつけて』と雅子さまにお声がけされる姿が印象に残っています。陛下から『このあたりは昔ゴルフコースでした』と教えていただいたり、雅子さまに『携帯電話が通じにくくてご不便かけていませんか』と声をかけていただいたりと、普段よりざっくばらんな話をすることができました」

妊娠中の雅子さまに心穏やかな生活を送っていただくため周囲が神経をとがらせたのが性別の話題だった。皇室には1965年の秋篠宮さま以降男児の誕生がなく、世間では女性天皇や女系天皇の議論が活発化していた。そのため雅子さまのご懐妊がわかると、性別に大きな関心が集まったのだ。当然ながら、堤さんはお腹の子の性別を誰よりも早く知る立場にあった。
「妊婦健診の超音波検査で赤ちゃんの性別に見当がついてしまいます。しかしお二人の子供の性別は日本の皇室の未来を左右するものでしたし、そもそも医師として本人の同意なしに性別を告げることはできません。ですので、性別が判断できるようになった段階で陛下に告知についてのお考えを尋ねました。すると陛下は『性別を調べて知らせる必要はない』と短く、しかしはっきりと口にされた。隣におられた雅子さまも陛下と同じ気持ちのようでした。
陛下ご自身だけ性別を知るという手段もあったでしょうが、それでは雅子さまに秘密を抱えることになります。『二人で支え合う』ことを大切にされていたからこそ、『二人とも聞かない』という選択をされたのだと思います。私はその意思を尊重して、出産するまで性別を一切他言しませんでした」