
初の欧州歴訪にのぞまれている皇后さま。日本の皇室が世界でも特に親密な関係を築くオランダには、長年にわたり国母が妻として、母として心を許す親友王妃の存在があった──。
オランダ軍の戦闘機に先導され、やや強い風の中、ゆっくりと滑走路に降り立った政府専用機。搭乗口が開くと、陛下と雅子さまがゆっくりとタラップを降りていく。しっかりした足取りで歩かれる雅子さまの表情は、約15時間の長旅の疲れを感じさせない晴れやかなものだった—─。
6月13日(日本時間)から13日間の予定でオランダ・ベルギーの両国を歴訪されている天皇皇后両陛下。
日本を出発する際、雅子さまがお召しになっていたのは、白のパイピングが施されたブルーのセットアップ。ジャケットは、左右の身頃を小さな白のリボンで留めるようなデザインになっている。帽子は白地にブルーがあしらわれ、足元も白が基調とされながら、つま先部分にネイビーが配されたバイカラーのパンプス。陛下もブルーのネクタイを締められており、青、白、赤が用いられているオランダ国旗を意識された配色だった。
空港で関係者とにこやかに挨拶を交わされた雅子さは、颯爽と車に乗り込むと宿泊先となるアムステルダム郊外のヘット・アウデ・ロー城へ向かわれた。
「王室の別荘として使われているこの城は、2006年にも天皇ご一家が滞在された場所。両陛下は長旅の疲れを癒しつつ、長年の友人であるオランダ国王夫妻とサッカーW杯の日本対オランダ戦を、応援タオルを手に観戦されました。試合は一進一退の攻防を繰り広げ、引き分けで決着。両陛下は国王夫妻とともに、両チームの健闘を称えられたそうです」(宮内庁関係者)
雅子さまにとって今回の欧州歴訪は大親友との再会の旅でもある。その“特別な存在”こそが、オランダのマキシマ王妃だ。

「雅子さまは2004年に適応障害と診断され、長期にわたり療養を続けられてきました。異例の海外ご静養となった2006年のご訪問で、雅子さまとまだ幼い愛子さまの滞在を実質的にサポートしてくれたのが、当時皇太子妃だったマキシマ王妃でした。お二人の友情はこの頃から育まれています。
しかし、2013年にオランダ国王の戴冠式が催された際、海外公式訪問に長いブランクがあることや体調面への不安から、雅子さまは式典への出席を迷われていました。そんな雅子さまにマキシマ王妃が電話をかけ、『すべての行事に出なくてもかまわないから』と、直接ご出席を呼びかけたことはよく知られています」(前出・宮内庁関係者)
翌2014年には王妃が来日し、再び雅子さまと対面された。
「当時、雅子さまは晩餐会のご欠席が続いていましたが、オランダ国王夫妻が来日したときには、久しぶりに出席されました。その後も、お二人は電話でのやり取りも続けていらっしゃるようです。時にはぼやいたり、悩みを打ち明けたり、同じ立場だからこそ気兼ねなく話せるご関係なのでしょう。
今回、公式な晩餐会の前に食事を共にし、リラックスしながらサッカーを観戦するというのも、王妃のアイディアだったそうです。雅子さまの快復の道のりは、オランダ国王夫妻と共にあったと言っても過言ではなく、12年ぶりの対面は雅子さまにとって『やっと会えた』という思いではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
心を通わせる2人の国母には、いくつもの共通点がある。
「まずは民間出身であること。アルゼンチン出身のマキシマ王妃は、農場を経営する父と母のもとに生まれ、大学卒業後はアメリカに渡り、金融業界でキャリアを積みました。外交官として働いていた雅子さまと同様に、自身の能力でキャリアウーマンとしての道を切り開いてこられたのです」(皇室ジャーナリスト)
そんなお二人は、ロイヤルファミリーとのご成婚が話題になると、物議を醸した点も似ている。
「雅子さまの場合、祖父が水俣病の公害を生んだチッソの社長を務めていたことが一部でやり玉に挙げられましたが、陛下が生涯の伴侶として雅子さまを強く望まれ、雑音を打ち消しました。
一方のマキシマ王妃も、父がアルゼンチンの軍事独裁政権下で閣僚を務めていたことが問題視され、国民から疑問の声が上がったことがあった。オランダ政府の調査によって父が圧政には関与していなかったことが明らかになり、国王も結婚の意思を貫いたことで、王室入りを果たしています」(前出・皇室ジャーナリスト)