
モデル・俳優のアンミカさんが「ずっと会いたかった人」をゲストに招き、軽やかに奥深く人生を語らう注目連載「アンミカのカラフル幸福論」。第21回のゲストはタレントの北斗晶さん。
「北斗さんとの食事会の席で、大切な指輪をなくしたことに気づき、大慌てになったことがありました。すると北斗さんが親身になって捜してくださり、最後には重たい椅子を軽々と持ち上げて見つけてくれたんです。テレビでは鬼嫁キャラですが、本当は誰よりも頼りになって、愛情深い人。そんな大好きな北斗さんとたくさんお話しできるのが楽しみです」
北斗:ミカちゃんと初めてしっかり話したのは、ハワイのプールサイドだったよね。私がシュノーケルを持ってぶらぶらしていたら、ばったり会ってさ。
アンミカ:そうでしたね! 短い時間でしたけど、いろいろお話しさせていただいて。そこから夫婦で仲よくしていただいています。
北斗:もう長いつきあいになるけど、意外と昔の話ってしてないかもしれないね。
アンミカ:そうなんです。会うといつもいまのお仕事や、家族の話で盛り上がっちゃいますもんね。だから今日は私の知らない北斗さんのこれまでのお話を、たくさん伺えたらと思っています!
北斗:なんでも聞いてください!
アンミカ:埼玉県のご自宅での生活や畑いじりなどの様子をつづったブログをいつも楽しく拝読していますが、生まれも埼玉ですか?
北斗:そうよ。私に対する世間のイメージは、子供時代は田舎の大家族でひもじく大根飯を食べている感じだと思うけどさ、実は100年以上続く農家の本家で食べ物に苦労したことはなかったの。曽祖父母、祖父母、両親、2才上の姉と9才下の妹という、9人の大家族でした。
アンミカ:すごい! 私もいいところ育ちみたいと言われがちですが、わが家は四畳半に7人暮らしで、冷暖房もない生活でした。お互いにイメージと現実が真逆ですね(笑い)。北斗さんはどんなお子さんでしたか?
北斗:性格はいまのまんま。男の子を蹴っ飛ばしては、父がその子の家にミカン箱を持って謝りに行くような女の子でした。
アンミカ:そこに関してはイメージどおり(笑い)。
北斗:でも小学生の頃は、お花屋さんとかケーキ屋さんに憧れていたのよ。スポーツを本格的にやり始めたのは中学生の頃で、小学生の頃はまだかわいらしい夢を抱いていましたね。
アンミカ:中学は何の部活をやられていたんですか?
北斗:ソフトボール部に入ったの。その推薦で東京の高校に進学したから、将来は実業団の選手になるか、体育の先生になるんだろうなってなんとなく考えていたかな。

SNSのない時代に復帰を願う8万人の署名
アンミカ:そこまで具体的に進路を考えていたのに、どこでプロレスと出会ったんでしょうか?
北斗:高校でできた友達が熱烈なプロレスファンだったの。私は、ひいおばあさんが大のプロレスファンで、1台しかない自宅のテレビで、プロレスの中継が必ず流れていたから、なんとなく話題についていけて。
アンミカ:プロレスの英才教育!
北斗:その友達がいまでいう「推し活」をしていて、世田谷区(東京)の等々力にある新日本プロレスの道場に連れていかれたの。友達が選手にサインをお願いしているのを横で見ていたら、急にその選手から「キミ、いい体しているね。女子プロレスラーになったらいいよ」と声をかけられたんです。
アンミカ:すごい! 現役選手から直々のスカウト。そこで心が揺れたんですか?
北斗:言われたときは、「そういうもんなのかなあ」くらいだった。でもね、家に帰ったらちょうど女子プロレスの番組がやっていて、デビューしたての新人を紹介するVTRが流れてきた。
アンミカ:プロレスの神様が手招きしていたとしか思えない!
北斗:その新人たちと私自身を比較しながら見ていたら、「あれっ? これ、私の方が強ぇな」と思っちゃってさ(笑い)。それで、将来の道を決めたんです。
アンミカ:そこからはトントン拍子で進んだんですか?
北斗:ううん。その年のオーディションはすでに終わっていて、次の開催は半年以上先でした。でも、決めた道に早く進みたかったから、有料の練習生制度があると聞いて、高校を中退することを親に相談したの。アルバイトをしてお金を貯めながら通いたかったからね。
アンミカ オーディション前に中退を決めるのは相当な覚悟ですね。ご両親は理解してくれましたか?
北斗:猛反対! 本家の娘が高校を中退するだけでも恥ずかしいのに、競泳用の水着みたいな格好で女同士が殴り合うなんてみっともないって。「あんなのストリップだ!」とおじいさんに激怒されて殴られました。最終的には母親が退学届を書いてくれましたけど。
アンミカ まさに昭和のおじいちゃんですね…。そこまで反対されたうえで前へ進むことに不安はなかったですか?
北斗:失敗するなんてこれっぽっちも考えてなかったんです。若さゆえの自信みたいなもんだよね。
アンミカ:私の兄と弟がプロレスファンだったので、当時の女子プロレスの盛り上がりは鮮明に覚えています。オーディションもかなり狭き門だったんじゃないですか。
北斗:3500人の応募があって通過したのは10人。最終審査には私を殴ったじいさんも一緒に来ていて、「大したもんだ」と感激しててさ。“おい、じじい、反対してただろ”と思ったけど(笑い)。寮生活になって、プロテストを通過して、デビュー戦が決まったのが17才のときでした。
アンミカ:多感な時期に熾烈な環境での生活が始まったんですね。くじけそうになりましたか。
北斗:鉄拳指導が当たり前の時代だったから、それはもう毎日しごかれた。練習中に同期の仲間が亡くなったことがあって、そのときはさすがに弱気になってね。規則を破って泣きながら公衆電話に駆け込んで、「やめたい」と実家へ電話したことがありました。
アンミカ:胸が詰まります…。
北斗:女子プロレスラーになりたいと言う私に対して、いままで意見を何も言ってこなかった父親が、そのときは「帰ってこい」って。
アンミカ:寡黙なお父さまの一言が胸に突き刺さります。
北斗:私が少しずつ雑誌やテレビに出るようになってから、「娘さん頑張ってるね」と近所の人に言われるのがうれしかったみたいでね。挫折して私が帰ったら笑われる立場だったと思うんです。それでも、帰ってこいと言ってくれた。
アンミカ:お父さまは世間体よりも娘のことが大事ですもんね。
北斗:父親の気持ちを考えると、踏みとどまろうと思えたね。でも、とにかく壮絶な日々でした。19才のときには試合で首の骨を折って死にかけたこともあったしね。
アンミカ:首の骨といったら命にかかわります。どういう状況だったんですか?
北斗:コーナーの2段目の高さから、頭が下の状態で思い切りマットに叩き落とされてね。気がついたら病院のベッド。2か月寝たきりで、起きたときには感覚はないのに強い痛みがあった。鏡を貸してほしいとお願いしても、「パニックになるから見せられない」と断られました。頭蓋骨の両側に穴を開けて、髪の毛もなくて、頭部と胴体は、特殊な器具で固定されていたらしいの。
アンミカ:そんな大けがをしてから、よく復帰できる体と心になりましたね。
北斗:周りはみんな大反対よ。見返してやりたくて必死に練習して、首の筋肉も鍛えた。でも団体からは「復帰したいなら1万人の署名を集めろ」って言われました。
アンミカ:SNSもない時代ですし、「復帰させたくない」という意味にもとれる厳しい条件です。
北斗:ところがね、ファンの子たちが「こういう選手がいます。復帰のために一生懸命、頑張っています」って、大阪だろうが北海道だろうがどこでも行って、署名を集めてくれたのよ。最終的には8万人の署名が集まったんです。
アンミカ:8万人! それだけ多くのかたが北斗さんの復帰を願っていたんですね。
北斗:おかげで無事に復帰できたんだけど、その後は20代半ばでメキシコへ流浪の旅に出されたりもしました(笑い)。
アンミカ:え、一難去って、またそんな大変な境遇に!?
北斗:全日本女子プロレスがメキシコのプロレス団体と提携して選手を派遣していたんです。私の付き人だった子たちが先に選ばれて行くことになってね。彼女たちの出発の日、ふと空を見上げると飛行機が飛んでいた。隣にいた松永高司会長に「あの飛行機に乗っているかもしれませんね。付き人が3か月もいないと寂しいです」と言ったら、会長はなんて言ったと思う?「なんで?日本にいても人気ないし客も呼べない。いてもいなくてもいいやつがメキシコに行くんだよ」だって。
アンミカ:ひどい!
北斗:でしょ? 私もそう思っていたら、その3か月後に「北斗、メキシコ行ってこい」って(笑い)。23才で島流しですよ。まぁ、海外旅行の気持ちで楽しんで、帰国したらプロレス人生にけりをつけようと思って行きました。

メキシコ修行と硬いパンとすきま風
アンミカ:前向きな開き直りというか、潔さがあったんですね。
北斗:明るかった。その心の持ち方がよかったのか、メキシコで人生がガラッと変わったの。
アンミカ:流浪のメキシコ生活、気になります。
北斗:とにかく言語の壁には苦しんだよね。辞書もガイドブックも持たずに行ったから、ジョン万次郎状態よ。たとえば、現地の人と別れるときに「アスタマニャーナ」と言われて、どういう意味かわからずメモするでしょう。それで、何回かその言葉を別れ際に言われると、その人とは翌日も必ず会うという法則に気づいて「また明日」って意味か、と理解するとかね。
アンミカ:頼るものがない環境での適応能力がすごい高いですね。
北斗:物理的な環境も厳しかった。メキシコは標高が高くて酸素が薄いの。体力には自信があったのに2~3発張り手をしただけでゼェゼェして、技術も何もない相手に負けちゃって。
アンミカ:それはくやしい~。
北斗:日本みたいに移動車も用意されていないから、試合会場まで自分でチケットを買って移動しなきゃいけないし、バスで6時間とかかかるわけ。売店で買ったパンはハエがたかっていてカチカチ。バスは硬い座席で、割れた窓ガラスには粘着テープが貼られて、すきま風がピューピュー入ってくるようなオンボロなのよ。
アンミカ:ロードムービーが撮れそうな厳しい生活…。
北斗:高速を走りながら、オレンジ色の車内灯をぼーっと眺めていたら感傷的になってさ。異国で初めて泣いた。日本にいれば付き人が3人くらいいて、どんな荷物も持つ必要なくて、会場に入ればキャーキャー言われる選手だったのにさ、私は何をやっているんだろう、って。でも硬いパンをかじりながら思ったの。「これはベルトとって帰るしかねぇな」ってね。
アンミカ:逆境も力に変える。北斗さんらしい考え方ですね。
北斗:たくましいのよ(笑い)。メキシコ修行のおかげでプロレス人生をまっとうできたから感謝しています。メキシコで、しっかりベルトもとったしね。
アンミカ:いまではメキシコでの経験を生かして、サボテンコスメの開発もされましたし!
北斗:本当に人生にムダなことはない。あの日ハワイでぶらぶら歩いていたことが、今日こうしてミカちゃんと楽しく話せていることにつながっているんですから。
アンミカ:いまやっていること全部が、現在、未来に生きるんだなって改めて思います。
(次号、後編へ続く)
北斗晶さんのHLLSPD
北斗晶さんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はHappy、Lucky、Loveについて直撃!
Happy:何をしているときが幸せですか?
家族皆でご飯を食べているとき
Lucky:小さなことでも「ラッキー!」と思ったことは?
ホテルの鍵を落としたときに、若い人が拾ってくれたこと
Love:あなたが好きな言葉は?
100人より3人
夫の健介さんとの胸キュン秘話から“鬼嫁”誕生の裏側まで!後編も必読です!
◆モデル・俳優・アンミカ
アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。
◆タレント・北斗晶
ほくと あきら/1967年生まれ。1985年に全日本女子プロレスよりデビュー。2002年の現役引退後はタレントとして活躍。バラエティー番組やCMなどに出演するほか、日々をつづったブログで人気を博す。『パートナー・オブ・ザ・イヤー』、『ベストマザー賞』など多数の受賞歴がある。
構成:渡部美也 衣装:ADORE ネックレス、ピアス/ともにグロッセ(アンミカさん)
※女性セブン2026年7月23日号