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最愛の母を看取った松嶋尚美、“1700日の介護”が教えてくれたこと「母と本当の“家族”になれた貴重な時間だった」

最愛の母を看取ったタレントの松嶋尚美
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「母が亡くなって、実は少しホッとした気持ちもありました。闘病中の苦しむ姿を見るのはつらかったので〝やっとゆっくり眠れたね、よかったね〟という気持ちが自然と湧いてきたんです。同時に、もっと一緒にいたかったとも心から思いました」

 普段と変わらぬ明るい口調ながらも、時に寂しげな表情を覗かせ実母との別れを振り返るのは、タレントの松嶋尚美(54才)だ。

 2021年12月、大阪で暮らしていた母のみよ子さん(享年89)を東京に呼び寄せ、彼女がこの7月に亡くなるまで、介護をしつつ生活を共にしてきたという。

「もともと母は膝が悪く、歩行などで介助が必要でした。大阪で長年面倒を見てくれていた私の妹が’21年9月に心筋梗塞で倒れてしまい、妹の娘が介護を引き継ぐことに。私の姪にあたりますが、まだ20代の彼女に介護を頼むのも忍びなく、悩んでいました」(松嶋・以下同)

 転機になったのは、ミュージシャンの夫・TOCCO(56才)が「お義母さんをうち(東京)に呼ぼうよ」と提案してくれたことだった。

「最初は施設に入居してもらうことも考えましたが、費用が高く、夫も『もしお義母さんがおむつになっても最期まで一緒にいよう』と言ってくれていたので、在宅介護を決意したんです」

 高齢の母を迎えて始まった新生活は、戸惑いの連続だった。

「母には心房細動や軽度の糖尿病など複数の疾患があり、血圧の薬だけで7種類もありました。投薬の管理に加え、血圧・体温・酸素濃度を毎日記録する必要があり、正常な数値がいくつかもわからず途方に暮れたこともあります。

 当時、エレベーターのない4階建てマンションの3階に住んでいたのですが、足や心臓が悪い母に階段は厳しく、外出も困難でした。母は2階まで上ると体が震えだし、そのまま崩れ落ちてしまう。それを私と夫が2人がかりで抱えて運ぶという具合で……」

子供たちでみよ子さんを囲んでの一枚(中央上は松嶋の姪。松嶋のインスタグラムより)
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 松嶋家には、当時小学4年生と2年生だった長男の珠丸くん(14才)と長女の空詩ちゃん(13才)がおり、みよ子さんが加わり5人家族に。賑やかな暮らしの中で、当初はみよ子さんと家族のトラブルも度々あった。

「私が不在のときに夫と母が喧嘩してしまい、何があったのか聞いてもお互い『言わへん』と頑なに語らない。結局詳しいことはわからないまま睨み合いが1、2か月続いたことがあり、気を揉みましたね。母との些細なすれ違いから、私が『ちょっとぐらい自分でやってよ!』とタオルを床に叩きつけてしまったことも。また、長男は高齢者になじみが薄く『シワシワで怖い』と母が少し苦手な様子で、懐くまでに時間がかかりました」

 松嶋にとって、母との同居は30年ぶり。一筋縄ではいかないことも多かったが、「深く悩むことはあまりなかった」とも言う。

「半年ほどで、徐々に介護に慣れていきました。夫は仕事をセーブしてくれましたし、ケアマネさんが母に合ったデイサービスを提案してくれたことも大きかった。かかりつけ医に相談して重複していた薬を整理したり、一つひとつ課題を解決していったんです。母が思ったことをハッキリ言う性格だったので、デイサービスにどれくらい通いたいかなど、コミュニケーションを取りつつ体制を作れたことも幸いでした」

 介護と育児を両立しての生活だったものの、「祖母の介護」を通して成長した子供たちに助けられることも少なくなかった。

「家族の中でいちばん年下の娘は『自分がやってあげなくては……』と責任感が生まれたようでした。母がトイレに行くのを助けたり、母のために“幸せ体操”なるオリジナルのリハビリ方法を編み出したりして助けてくれましたね。長男も『サッカーの試合があるから見に来てよ。会場はバリアフリーだから!』と母を外出に誘ってくれるように。ごく短い時間ですが子供たちだけで面倒を見てもらったこともあって、本当に頼りになりました」

 家族で介護に向き合い、車椅子のみよ子さんを連れてお花見や散歩に一家そろって出かけることも増えるうちに、松嶋には改めて母と向き合う余裕が生まれた。

「母は若い頃に離婚を経験して、働きながら私と妹を育ててくれました。私が芸人を目指したときも静かに見守ってくれたような、芯の強い人。そんなふうに母のことを理解しているつもりでしたが、介護をするうちに実は両利き、ドライブが好き、チョコレートアレルギーだった、など知らないことがたくさん出てきて。同居して介護をさせてもらえたことで、母の素顔に触れ、深く知ることができたのだと思います」

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