異なる国の言語が飛び交う“多言語劇”の魅力
本作には、日本の俳優だけでなく韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ドイツ、マレーシアからオーディションで選ばれた海外のキャスト陣が出演しています。彼らの主な役どころは、家福が演出を手がける演劇作品を共にクリエーションする者たち。映画の中で立ち上がっていく劇中劇では、さまざまな言語が飛び交う“多言語劇”が展開するのです。
この物語の軸になっているのは、家福が向き合うことを避けてきた“あること”に、人々との交流を経て、向き合い、受け入れ、大きな喪失感を抱えながらも、それでも「生きていこう」というメッセージです。これは劇中劇として家福が手がける、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』とも重なるもの。ここで活きてくるのが、“多言語劇”です。
共通の言語が無い中でも通じ合う
普通、双方の言語を理解していなければ、韓国語と日本語とでの会話は成り立ちません。しかし劇中劇の中では、共通の言語が無いなかでも意思が通じ合っています。ここで気付くのが、相手との意思疎通を図るためには、積極的に相手の言葉を理解しようと努めるべきだということです。
同じ言語を話す者同士でも、認識の齟齬は生まれてしまいます。相手の心の中まで覗くことはできません。自分の主張以上に、相手の声や声にならない誰かの声に積極的に耳を傾けることが大切です。他者に理解しようとすることは、ひるがえって自分自身に真剣に向き合い、自分への理解を深めることにも繋がるのだと気付かされます。この多言語が飛び交う物語世界の中で生きる人々を見ていて、そう強く思わされました。
◆文筆家・折田侑駿さん
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。http://twitter.com/cinema_walk