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河合薫さん、人生後半戦は「学び」が力になる CA、気象予報士から東大大学院に進み学者に

健康社会学者・気象予報士・河合薫さん
50代以降の生き方について健康社会学者・気象予報士・河合薫さんに話をうかがった
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人生の後半戦をどう生きればいいのか。「幸せへの力」とはなにか――。そんなヒントの詰まった『THE HOPE  50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』(プレジデント社)を上梓したのは河合薫さん(56歳)。かつて『ニュースステーション』で気象予報士としておなじみだった河合さんは、今は健康社会学者として活躍し「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究し、約900人もの取材により独自の幸福論を打ち出しました。そこに至る経緯や、50代以降の生き方について話を聞きました。

CA、気象予報士、そして健康社会学者へ転身

河合さんは小学校4年から中学1年生までアメリカで過ごし、全日本空輸(ANA)国際線のCA(キャビンアテンダント)を経て、気象予報士第1号に。その後、東京大学大学院に進学して博士号を取得、健康社会学者になるという異色のキャリアを持つ。この向上心はどこからくるのか。

「学生時代はキャリア意識はなく、CAになったときも、3年働いたら寿退社してもいいかな、と漠然と考えていました(笑い)。でも、ANAの先輩たちに仕事の楽しさを教えられて、自分の能力をもっと発揮したいと思うようになったんです」(河合さん・以下同)

河合薫さん
CA時代の河合さん。機内で仮眠をする前のひとコマ
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1980年から1990年代、ANAは航路を拡大し急成長していた時期。

「私が入社した1988年は国際線を就航して2年目だったので、国際線のCAは500人ほどで路線は数えるほどしかなかった。ところがフライトから帰ってくるたびに、ロンドンに就航した、パリに飛んだなどと次々と路線が増えていきました。私たちの下の世代から採用するCAの数も増え、国内線から移行してくるCAも増えた。私たちの世代は、早い段階でチーフパーサーなどの責任のある仕事をする機会をいただけて、やりがいがありました」

国際線CAを辞めた理由

国際線のCAは高給で、海外に行けるうえVIPにも会える。恵まれた仕事だと思いながらも、河合さんは26歳の時に4年務めたANAを退社する。

「“もったいない”とみんなに止められましたが、自分の言葉で伝える仕事をしたいという気持ちが強くなっていましたので、とにかく辞めた。何も決まってないのに。若気の至りです。さて、困った。どうしようと悩んでいたら、2年後に気象予報士という資格ができると新聞で知りました。子供の頃住んでいたアラバマ(アメリカの州の1つ)は、トルネードの通り道。ウェザーキャスターは大人気の職業でした。自分の言葉を持った仕事はこれだ!と、お天気の世界の扉をたたきました。

お天気の勉強をすると、CA時代に不思議に思っていた謎も解けました。たとえば、赤道付近を通過するときの機体の揺れです。飛行機は一般的に、雲の中や雲の近くを飛ぶと揺れます。雲ができる高さは、主に1万メートルくらい。だからその上を飛んでいると機体は安定します。ところが空気は膨張するので、赤道付近に行くと気温が上昇して、雲ができる高さが上がっていく。飛行機はそれに合わせて高度を上げるのですが、追いつかないと雲の影響を受けて揺れるんです」

アメリカで生活していた頃。middle school でのダンスパーティ
アメリカで生活していた頃。ミドルスクールでのダンスパーティーにボーイフレンドと
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