
専業主婦から17年ぶりにキャリアを再開し、いまや外資系ホテルの日本法人社長となった薄井シンシアさん(63歳)が、これまでに経験した紆余曲折な人生を語る――連載「もっと前向きに!シン生き方術」今回は、2021年5月から社長を務めているホテルで多様な人材を雇用して感じたことについて。働きたい意欲を思っている専業主婦や、仕事でつらいことがある人には必読です。
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外資系ホテルに突きつけた条件は人事権
ホテル事業者「LOF Hotel Management」から、日本に出店するホテルの支配人のオファーが舞い込んだとき、私が先方に出した条件は2つでした。1つは、支配人ではなく、日本法人の社長(カントリーマネージャー)にしてほしいということ。もう1つは、日本法人の人事採用は日本法人に任せてもらうということです。

私は17年間、専業主婦として子育てと家事が中心の生活を送りました。娘とたくさんの時間を過ごせたその日々は、かけがえのない愛しいものでしたが、その分、子育てを終えたときは、子どもが巣立ってやることが少なくなったので本当に苦しかったです。ならば仕事をと思っても、労働市場では専業主婦の経験はキャリアとして認められず、応募できる仕事が非常に少なく、悔しい思いもしました。
けれど、そんな私に声をかけ、チャンスをくれた人たちがいて、私はキャリアを再開し、今こうしていられます。だから、自分が社長になれたら、今度はこれまでの学歴や経歴などに関わらず、老若男女みんなに、今度は私がチャンスを与えようと決めていました。LOFへの2つの条件は、そのために出したものでした。
レジ打ちからホテルフロントのエースになった元専業主婦
「多様性のある組織に」。これは、働きたい人のためにというだけではなく、それぞれの強み、弱みを持ち寄って補完し合えるチームのほうが強いという、経営者としての信条があって掲げている方針です。
実際、すばらしいメンバーに恵まれて、このコロナ禍のなか、予定通り初年度に国内で3軒のホテルを開業することができました。例えば7年間、スーパーマーケットのパート従業員だった人はうちのホテルでフロント業務をバリバリやってくれています。

スーパーのパートさんも、履歴書に書いても一般的にはあまり評価されない経歴ですよね。でも、私も以前やっていましたが、レジ打ちって行列するお客さんをどんどんさばいていく大変な仕事なんですよ。待ち時間が長くなるとお客さんはみんなイライラしてくるので、スタッフが受けるプレッシャーも相当なものです。それを毎日こなしてきた人は、ホテルのフロントに少し対応の難しいお客さまが現れようが、2~3組が手続きを待っていようが、動じません。彼女の現在の働きぶりは堂々として手際がよく、それは見事です。
また、弁当の工場で働いていたフィリピン人と日本人のハーフの優秀な女性もいます。彼女は15歳までマニラにいたため、1年間の日本語勉強だけでは日本の高校に合格できなかったのです。生活費のためもあり、昼間はお弁当の工場で働きながら定時制高校に通い、卒業しました。大学に行く経済力がなく、そのままお弁当の工場で働く予定でしたが、実は彼女のシングルマザーのお母さんはホテルで清掃をされていて、私は一緒にランチする仲間だったこともあり、彼女をホテルに誘いました。
彼女は日本人のように日本語はできませんが、その分、英語ができるし、ITスキルも素晴らしい。今はフロント業務だけではなく、弊社のIT関係は彼女が兼務してくれています。適材適所という言葉がありますが、それぞれの強み、弱みを補完し合えるチームのほうが、総合的に強くなりますよね。
専業主婦の経験や人間力に期待し積極採用
自分がかつて専業主婦だったこともあって、採用面接の時点で専業主婦・元専業主婦だという人のことも、これまで積極的に採用してきました。3つ目のホテルが開業する前の時点(社長就任9か月)で12人です。そこには、管理職として引き抜いた、自身のホスピタリティー講座の生徒でもある元専業主婦1人、離職期間10数年の専業主婦も数名いました。

採用の条件は、端的に言えば一つだけ。覚悟です。やる気があるかどうか。新しいことを学ぶ意欲があるかどうか。これに尽きます。
確かに、専業主婦から働き始めたばかりの人は、すぐには戦力にならないかもしれません。組織で働くことに慣れていなかったり、パソコンをはじめとする基本的なスキルが不足していたりもします。でもそれは、仕事に就いてから実地で学んでいけることです。

専業主婦が家計を運営したり、家族が快適に過ごせるように気配りをしたり、家事をいくつも同時並行でこなしたりしてきた経験は、仕事にだって役に立つものと私は信じています。特に、子育てを終えた中高年の専業主婦のかたは、人間として成熟しているはずで、そこは若い労働力に勝る点だと思うのです。
離職期間長い専業主婦は「ほとんど退職」という現実
しかし、正直な話をしますと、専業主婦の方々がそのポテンシャルを職場で発揮することなく辞めていく例も、実は非常に多いです。私たちのホテルでは、何人ものかたが退職されました。
この離職状況を聞くと、「ブラックな会社なのだろう」「パワハラがあるのではないか」と思われるかもしれませんが、私はそうではないと思っています。当社では週に2日だけ、4時間ずつなど、働き手の希望に合わせた短時間の勤務を可能にしてきました。そんな中、退職されたのは、専業主婦の方だけでした。ですが、実際、働き続けている元専業主婦で現在管理職や契約社員の人もいます。

では、なぜ同じ専業主婦でも仕事を続ける人、辞める人がいるのか。先ほどお話ししたレジ打ちから優秀なフロント係になった女性の例を出したいと思います。彼女はシングルマザーです。自分が稼がなければ子どもたちを育てられないので、一生懸命にもなります。つまり、仕事を続けている女性にはそれだけ働く「覚悟」があったということです。覚悟がないと、慣れない仕事で注意されたら、「やっぱり私には無理」と早々に見切りをつけてしまうことになってしまうのではないでしょうか。
就職の第一の準備は覚悟を決めること
専業主婦をしていてこれから働いてみたいという人は、自分がなぜ働きたいのか、自分の気持ちをよく見つめてほしいと思います。自分の自由になるお金が欲しいからか、社会とつながりを持ちたいからか、張り合いのある生活を送りたいからか――。理由は人それぞれで、何であっても構いません。
ただ、「この動機で働き始めて、多少のつらいことがあっても続けていけるだろうか?」とは自分に問いかけてほしいのです。働き始めてすぐに辞めると、会社にとっても損失ですが、辞めた人の心にも傷が残ってしまうはずです。

ちなみに、私は子育ても終わって、働けない理由がなくなった以上、自分の欲しい物は自分のお金で買いたい、自分の可能性を実らしたいと思って仕事を再び始めました。映画で言えば、サポート役ではなく、主人公になりたい。娘から愛している母だけではなく、尊敬している人間として思われたいのです。
「こんなこともできないの!?」と職場でバカにされ怒鳴られた経験が私にもあります。それでも私は、叱られて嫌だという気持ちより、堂々と娘の前に立てる自分でいたい気持ちのほうが強かった。だから、落ち込むよりも具体的な改善の方法を探るほうに考えが向かいました。
私は仕事をする上で、仕事を何のためにしたいのか、そこを深く考えることが大切だと思っています。仕事に応募するときには、まずそこを考え、覚悟を持つ。何よりも先に、心の準備をしておくことが、自分にとっても、会社にとってもよい結果になるのではないでしょうか。
◆LOF Hotel Management 日本法人社長・薄井シンシアさん

1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う大学のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラ社に入社し、オリンピックホスピタリティー担当就任するも五輪延期により失職。2021年5月から現職。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/藤岡雅樹 構成/赤坂麻実、編集部