“見返りを求める男”に変わるムロ無しには成立しない作品
ムロさんが実写映画で主演を務めるのは、昨年公開された『マイ・ダディ』に続き二作目。ある一家の父親を演じた前作では抑制の効いた演技が非常に印象的でしたが、今回もそうです。数多くの作品で喜劇的な演技をしている俳優とあって、ムロさんのパブリック・イメージはコミカルそのものでしょう。
ところが『神は見返りを求める』の田母神はとても大人しく、他の人物の方が遥かに個性的。彼はただただ笑みを湛えて、周りによいように利用されていくばかりです。客観的に見ているこちらとしては田母神が不憫でならないものの、普段のムロさんのイメージも相まって、少々シリアスなシーンでも彼の存在がコメディ・リリーフとして機能。これが絶妙なおかしみを生み出しているのが本作の白眉な点だと言えるでしょう。ムロさん無しには成立しない作品だと思います。
演技面も演出面も豹変していく過程の表現が細やかで見事
しかし、田母神が大人しくしているのはある瞬間まで。天狗になった優里から恩を仇で返された果てに、彼は“見返りを求める男”へと豹変していくのです。演技面も演出面も、この豹変していく過程の表現が細やかで見事。溜まりに溜まった田母神のフラストレーションが、私たちの日常にだって起こり得るほんの些細なことで爆発し、堰を切ったように怒りが溢れ出して止まらないさまが実にリアルです。
彼は直接的な暴力行為に及ぶわけではないものの、優里への執着にはやはり恐ろしいものがあります。ムロさんの演技は相手を威圧するような攻撃的なものばかりでなく、怒りの感情を本来の優しさで抑え込もうとしても自制できない人間の心理状態を身振り手振りを交えた全身で訴えるからこそ、見ていて胸に迫ってくるものがあるのです。
本作は、いま流行りの「YouTuber」の存在をモチーフにしていますが、メインで描かれているのはどこにでも転がっているであろう人間同士の物語です。「善意」とは、与える側と与えられる側の認識の齟齬によって形を変えます。田母神のような心の優しい人間が醜く壊れていくさまは見たくありません。しかしこのような問題は、実際にあちこちで起こっている。独自のユーモアで包みながらも、現代社会に鋭くメスを入れる作品です。
◆文筆家・折田侑駿
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun