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「卵巣がん疑い」で手術した65歳オバ記者、検査漬けの日々で感じた病院にある”イライラの種”

オバ記者
オバ記者が感じた「健康な人」と「病人」の気持ちの違い
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「卵巣がんの疑い」で今月初めに手術を受けた、ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)。手術を終え退院したが、検査漬けの日々や入院、手術で感じた疑問について“病人”の視点で綴ります。

* * *

病院での気持ちが“健康な人”とまるで違う

この夏から秋にかけて「卵巣がんの疑い」で検査に次ぐ検査。1日おき、または連日、大学病院に通ったんだけど、そのたびに思ったのが病人にはキツイ大学病院の広さと“不案内”。

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広さも案内のされ方も「病人」になって初めてわかったことがあった
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「いやいや、何言ってんの。病院はちゃんとパンフレットで全体図を見せているし、入り口付近にはいつも案内係の人が何人もいて声をかけたらすぐに対応してるじゃないの」と病院側は言うに違いない。確かにその通りなんだけどね。それはあくまでも“健康な人”の発想なんだよね。

私が尋常じゃないほどふくらんだお腹をかかえた“病人”になって初めてわかったんだけど、病院に足を踏み入れたときの気持ちが、“健康な人”のときとまるで違うんだわ。

検査前の待合室で「広い荒野に置いてきぼり」

たとえば予約票に書き記された予約時間の15分前に病院に到着したものの、広い荒野にポツンと置いてきぼりにされたような心細さをどう表現したらいいのかしら。

「卵巣がんの疑い」の私がどんな検査をしなければならないかは医師から知らされている。いくつか検査で回るべき科の順序と予約時間も予約票に書かれているからわかる。だけど、そこでハタと立ち尽くすわけ。

前回、女性外来の担当医は「まず〇〇科で××の検査をすませてから、△△にかかってからもう一度〇〇科に戻って…」と言っていたけれど、〇〇科と△△科の予約時間の間隔がやたら迫ってないか。医師の通りに回っていたらムリじゃないか?

慣れない病院で不安はマックス!

慣れない大病院で私の不安はマックス! あわてて〇〇科の事務局の前にできている列に並んで、私の行き先を聞いて…。これだけでクタクタ。

時計を気にしてあわてて病院を上下、左右に移動しているとき、もしこのまま廊下で行き倒れたらどうなるのか。病院の中だから適切な科に運んでくれるかしら、なんて想像したわよ。

だけど、そんな心配は無用だったと、今ならよくわかる。病院内の検査開始時間は、“医師の努力目標”であってガチじゃない。後ろにずれるのは当たり前なんだよね。

患者は自分の順番が来たときにそこにいればいいわけで、もし都合で遅れたら看護師さんやら事務局の人に声をかけたら何とかなる。この約束事がわかるまで、半月はかかったもんね。

婦人科での待ち時間は2時間半

大学病院だけじゃない。待ち時間の最高記録はその前にかかった婦人科の専門病院で、予約時間の2時間半後にやっと診察室のドアが開いたんだよ。理由はがんかどうか調べるMRIの専門病院から送られてきた画像が開けないから。

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意を決して検査を受けに病院に向かったときのオバ記者
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途中、看護師さんが何度か「すみません。もう少しお待ちください」と声をかけてくれたけれど、「もう少し」って、最大でも30分ではないか? なんてスチール椅子に座って待っている“病人”の私はイライラがつのる。

その病院は狭い廊下が待合室をかねていて、扉を開けたところに内診台がある。それがわかっていて小学校高学年の男の子を連れてくる若いお母さんってどうなのよ。

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弟に連れて行ってもらった茨城県にある「御岩神社」を思い出してイライラした心を落ち着かせる
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とにかく“病人”になるとイライラの種はあちこちに散らばっているんだよね。そんなときは検査漬けになる直前に、弟に連れて行ってもらった茨城県日立市のパワースポット、「御岩神社」を思い浮かべていた私。鳥居をくぐったとたん酸素濃度がグッと増した気がするんだけど、ふさふさの苔といい、杉の巨木といい、ただごとではないんだわ。ただ境内を歩いているだけで心が静まったっけ。

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「御岩神社」は歩いているだけでエネルギーを感じた
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ステージ2の胃がんだった義父は病院を“拒絶”

そういえば4年前に亡くなった義父は、ステージ2の胃がんのとわかったとたん「オレは手術はしない」とキッパリ。医師と家族が口々に手術をすすめたけれど、どうしても首をタテに振らないの。「オレの知り合いはがんで手術したらみんな死んだ」というのがその理由。

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4年前に亡くなった義父
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てか、無教養人の義父の医学知識は「病は気から」のみ。誰かが病気で入院すると「意気地がねぇから病気になるんだ」とののしっていたの。だから「オレが大丈夫といったら大丈夫」と頑張っていたんだけれど、日に日に食事が喉を通りにくくなる。そんなある日、やっと手術を前提に検査をしてもらおうかという気になって、予約をとって孫といっしょに地元の総合病院に赴いたんだけどね。

短気な義父は、待ち時間ががまんできない。何度か看護師に「まだか」と聞いたあげく、とうとう待合室いっぱいに響く声で「ふざけんじゃねぇ! いつまで待たせんだっ。ああいい、もういい。オレは死んだってかまわねぇから!」と怒鳴ったのだそうな。その直後、義父は待てなかった自分を後悔してしょげ返っていて、その8か月後、他界した。

そんなあれこれを思い出したりして、エコー、CT検査、PET検査、乳がん検診、大腸がん検診、子宮体がん検査、緑内障検査などなどをこなして、ようやく入院したときは正直、ほっとしたもんね。

医師と看護師が病室に来るのが新鮮だった入院生活

入院してから手術まで土日をはさんで4日間。結局、「卵巣がんの疑い」の”疑い”が晴れないまま手術をするのは不安だったけれど、「腹部の奥深くある卵巣は腹部を開いて見ないとわからない」と言われたら納得するしかない。

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お守り代わりにしていた愛猫・三四郎のTシャツ
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それでも検査漬けの日々、待ち時間の日々を思えば、なんでもいいから悪いところは切ってちょうだいという気になるんだよね。それに入院したら、私が病院に行くのではなく、医師と看護師が私の病室に来てくれるのも、生まれて初めて入院した私には新鮮だった。

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手術を終えた後のオバ記者
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で、手術では、12cmに肥大した左の卵巣と正常な右の卵巣、それから子宮を全部摘出するのに6時間かかって、今のところの診断は「境界悪性腫瘍」だけど、それも手術中に大急ぎで細胞検査をした結果。最終的な診断はまだ下されず、引き続き「卵巣がんの疑い」の私。まだ歩くと傷口が鈍く痛んで、すぐに疲れてしまうのよね。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【320】「卵巣がん疑い」65歳オバ記者がついに手術 手術室入り、麻酔から目を開けた瞬間、そして医師が告げたのは…

【319】65歳オバ記者「卵巣がん疑い」に 検査から告知、手術直前までをレポート

 

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