
松山ケンイチさん(38歳)が主演、長澤まさみさん(35歳)がヒロインを務めた映画『ロストケア』が3月24日より公開中です。本作は、連続殺人犯として逮捕された介護士の男と女性検事が対峙するさまを描いたもの。切実なメッセージを内包しつつ、サスペンスフルな物語の展開と鬼気迫る演技対決で観る者を魅了する、そんな作品に仕上がっています。本作の見どころや松山さん、長澤さんらの演技について、映画や演劇に詳しいライターの折田侑駿さんが解説します。
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高齢化社会において多くの問題を提起する作品
本作は、作家・葉真中顕さんによる第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『ロスト・ケア』を、『そして、バトンは渡された』(2021年)などを手がけ、この6月には『大名倒産』と『水は海に向かって流れる』の2作の公開が控えている前田哲監督がメガホンを取ったもの。

介護士でありながら42人もの高齢者を殺めた男と、彼のその真意を追及する検事の姿を通して、物語は高齢化社会の深刻な現状を浮き彫りにしていきます。殺人行為を「救い」だという男の驚きの発言に検事は戸惑い、揺さぶられ、やがて2人の“正義”が衝突。いまのこの社会を生きる私たちすべてに対し、多くの問題を提起する作品なのです。
42人を殺めた介護士と、その真相を追う検事
検事の大友秀美(長澤)が担当することになったとある事件。ことの始まりは、早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見されたというものです。
センターの職員たちへの事情聴取を重ねて調べを進めていくうち、やがて介護士の1人である斯波宗典(松山)が容疑者として捜査線上に浮かんできます。しかも大友は、彼がこのセンターで働くようになってから40人以上もの老人が自宅で亡くなっていることを突き止めます。

大友の問いに、あっさりと犯行を認める斯波。でも彼は自分がやったことは「殺人」ではなく、「救い」なのだと主張します。なぜ彼は多くの老人を「救い」と称して殺めたのでしょうか。
大友は被害者の家族を調査していくうち、社会的な援助が行き届いていない介護家族の厳しい現状を知ることになります。それでも彼女は“法律”という正義のもと、また別の正義を主張する斯波と対峙していくのです。
坂井真紀に柄本明……作品を支える盤石の布陣
本作の大きな見どころは大友と斯波が対峙するさまですが、それを支えるキャラクターたちの存在も重要。演じる俳優たちはまさに盤石の布陣となっています。

大友の右腕的存在として活躍する検察事務官の椎名役に鈴鹿央士さん、最初に発覚する事件の被害者の娘である梅田美絵役に戸田菜穂さん、大友の母親・加代役に藤田弓子さんが配されています。

さらに、斯波が勤める介護センターの所長役を井上肇さん、同僚役を峯村リエさんと加藤菜津さんが演じているほか、認知症の母を介護する羽村洋子役を坂井真紀さん、斯波の父である正作役を柄本明さんが演じています。



ここに名を挙げた若手からベテランまでの妙演の数々が、本作を支えているのです。そして、彼ら彼女らの中心で演技対決を繰り広げているのが、斯波宗典役の松山さんと大友秀美役の長澤さんというわけです。
松山ケンイチと長澤まさみの力演が欠かせない
松山さんと長澤さんというと、現代のエンターテインメント界を牽引する存在の代表格でしょう。松山さんは主要キャストの1人を務めたドラマ『100万回 言えばよかった』(TBS系)が好評のまま幕を閉じたばかりで、放送中の大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合)では物語の動向を左右する本多正信という注目人物を担っています。

一方の長澤さんは、昨年放送された主演ドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ・フジテレビ系)が大反響を呼び、同作はいまだに配信サイトなどで話題作の1つであり続けています。

両者ともに、シリアスな人間ドラマから振り切れたコメディ作品にまで適応してみせる演技巧者。しかし、意外にも今回の『ロストケア』が初共演作だといいます。満を持して、といったところでしょうか。本作のテーマを世に訴えるには、この2人の力演が欠かせないように思います。
静と動、陰と陽……表裏一体の演技
斯波と大友は、対照的な関係にあります。殺人者と検事であることはもちろんそうですが、認知症が進行する父親を斯波が自宅で介護していた一方、大友の母は施設のお世話になっています。どちらがよいか悪いかの話ではもちろんありません。ただ、“介護”をテーマにした本作において、そこには圧倒的な違いがあるのです。


なぜなら斯波は、世の中の多くの人々と同様に、自宅での家族の介護に頭を悩ませたことがあるから。物語に深くは踏み込みませんが、そのような経験があるからこそ、彼は自分の行為を「救い」なのだと穏やかに語ってみせるのです。
そんな松山さんの演技は、揺るぎない軸があるものの、常に静かです。悟りを開いた者のごとく動じず、抑揚を欠いていて非常に穏やか。対する長澤さんの演技は、かなり動的なものです。大友は法律という絶対的な正義を持っていますが、斯波の正義を前にそれはぐらつきます。不安や動揺の色が浮かぶ表情だけでなく、そのときの心境によって声色も変化。長澤さんはこれを大小高低と自在に操っています。

つまり、斯波と大友が対照的であるように、松山さんと長澤さんが実践する演技のアプローチも真逆なのです。斯波が“陰”ならば、大友は“陽”。私たちはこの2人の言い分をそれぞれ聞いて、どちらかが圧倒的に正しく、どちらかが圧倒的に間違っているとは言えないのではないかと思います。2人の立場や考えが表裏一体であるように、松山さんと長澤さんの演技もそうなのです。
「感動作」や「社会派」と安易には言えない
ここまで書いてきたように、本作は社会の深刻な問題を描いています。けれどもポスタービジュアルを見ると、「彼はなぜ42人を殺したのか」と「殺人犯VS検事 運命の激突――。」というコピーの主張が強く、性格破綻者と法の番人の闘いを描いたエンターテインメント作品だと誤解していたかたも少なくないのではないかと思います。

しかしいざフタを開けてみると、その中身は介護当事者の苦悩を描いた作品であり、やがては殺人犯と検事がそれぞれの立場を超えて個人的な感情を吐露し合います。そこで私たちは感情を揺さぶられ、感動する人だっているでしょう。

ですがこれを、「感動作」や「社会派」などと安易にカテゴライズしてしまっていいものか、とても悩みます。特定の言葉で括ってしまうことで、そこからこぼれ落ちてしまうものが絶対にあると思うのです。人の数だけ正義があるように、この作品の受け取り方も人それぞれに違うはず。現実と地続きのこの物語を、あなたはどのように受け止めますか?
◆文筆家・折田侑駿

1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。https://twitter.com/yshun