
ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。自宅介護の末、母親を看取ったのは一昨年春のこと。その母親の妹(叔母)が認知症を患い、先日、特別養護老人ホームに入所した。「東京のおばちゃん」として憧れだった叔母との日々をオバ記者が綴る。
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あれっきり叔母からの電話はない
「ヒロコちゃん? 私だけど」
東京から新幹線で行く地方都市の特養(特別養護老人ホーム)に入所した叔母(88歳)から電話がかかってきてから10日以上が過ぎた。「みんなで旅行に来たみたいだけど、そろそろ帰りたいのよね。迎えに来てくれる?」と言う叔母に、「いいけど、そこにいて何か困ることあるの?」と聞くと、「困ることはない。こざっぱりしていていいところよ」と言うの。「ご飯は?」と聞くと、「みんな用意してくれるのよ。お金は前もって払っているから遠慮はいらないみたい」だって。

認知症がひどくなった叔母は、特養に入所したことを理解していないんだよね。なので私は叔母に調子を合わせて「じゃあ、もうしばらくいたらいいじゃない。何かあったら電話してね」と言って電話を切ったんだけどね。
電話を切った後から、もし夜に昼に見境なく電話をかけてきて、すぐにここを出たいとわめかれたらどうしようと心配になった。けど、あれっきりだ。ということは、電源が切れて充電の仕方がわからないのか。それとも…。

何日か過ぎたときに合点がいったんだわ。施設はどうにかして叔母から携帯を取り上げたに違いないんだよ。そりゃそうよ。認知症の入所者が外界と連絡を取っていいことなんかひとつもないもの。もめごとを起こさず、静かに、ほどほど健康に共同生活をしてほしいと施設が願うに決まっているわよ。

「東京のおばちゃん」は憧れの人だった
しかしなぁ。あの叔母がすんなり施設におさまってくれるのかしら、とも思うんだわ。叔母の身元引受人は地方都市に住む58歳の娘と、東京の55歳の息子のふたりだから、姪の私は関係ない。娘にLINEをして「叔母ちゃん、どうしている?」と聞けばすかさずレスしてくれると思う。だけどそれをしてどうするのと思うとスマホの上で指が止まるんだよね。

だからといって叔母が頭から消えたかというと、そうとも言い切れないのは、それなりの歴史があるから。
「だからお前はダメなんだよ」「ふん、くだらないっ」「何、たいしたつもりしてんのよ」と、70代半ばから油断すると私は叔母から罵声を浴びせられたけれど、同時に「ヒロコちゃん、ご飯食べて行くでしょ」という身内の声も耳に残っている。てか、正直にいうと夏休みになると寄宿していた小4から高3まで「東京のおばちゃん」は私の憧れの人だったんだよね。

茨城の田舎、NHKの朝ドラ『ひよっこ』の舞台そのものの家、後ろに林があるかやぶき屋根の農家で、土間に囲炉裏に離れには馬小屋もある。そんな家で生まれた叔母が上京して、新宿区の土地持ちの家の息子に見初められて結婚。専業主婦をしながら編み物を習い、やがて編み物教師になって、流行の最先端のニットのミニスカートでさっそうと新宿の伊勢丹に入っていく。茨城娘から見たら「東京のおばちゃん」と言うだけでそれだけでキラキラした気持ちになれたのよ。
「人探しに飲み屋につき合ってほしい」
それが私も上京して住み込みの靴屋の店員をして、貯めたお金でマスコミの学校へ行きだしたころから、バランスが変わったんだよね。まあ、私が生意気口を叩くようになったんだけど、そんなある日、叔母から「人探しをしたいんだけど飲み屋につき合ってほしい」と言われたのよ。私が20歳の昭和52年の秋だった記憶がある。

事情はこうだ。叔母の従兄弟が新宿でバーをしていて、老いた父親があと何か月ももたないのに、何度手紙を出しても返事がない。バーの住所はわかっているけど、ひとりで夜の繁華街を歩くのは怖い。お前なら飲み歩いたこともあるだろうから、一緒に行って従兄弟を帰るように説得してほしいと。
次々と墓の住人になる家族…「人がいてこそ」のことも
叔母の従兄弟の店はあっけないほど簡単に見つけられて、そこのカウンターで叔母はハイボールを注文して、私は水割りにしたっけ。そこで私は叔母に頼られたことがうれしくて、調子に乗ったんだね。「親が死んでから後悔するよ。後生だから会ってやってよ」と、20歳の小娘は今なら顔から火が出るようなことを言ったのよ。「後生?」と従兄弟は私の顔をマジマジと見ていたっけ。そんなことをつい先日、久しぶりに行った新宿のゴールデン街を歩いていたら思い出したの。

それはともかく、私はこういうどうでもいい場面を事細かく覚えているクセがあって、それを披露して叔母から怒鳴られたことがある。
「叔母ちゃんさ。あの時、私にこう言ったよね。覚えてない? ほら、誰と誰がいて、誰かがこう言ったときに私がああいったら、叔母ちゃんが…」
江戸の敵を長崎で、じゃないけれど、小学生の時、叔母が子供だと思って油断して私に吐き捨てたことを、20過ぎてからここぞとばかり蒸し返したわけ。そうしたら叔母、「そんな昔のこと、今さら言ってどうなるのっ。人に嫌われたくなかったら、昔の話なんかするんじゃないよ」と激怒したんだわ。それから蒸し返しはなるべくしないことにしているの。

だけどその蒸し返しだって、人がいてこそでね。ここ数年でバタバタと墓の中の住人になった母ちゃん、義父、年子の弟には届きやしない。届かないという意味では認知症の叔母もそう。昔話をして顔をしかめる身内が、ひとりもいなくなったんだよね。それが、ふとしたときに身をよじるほど寂しくてたまらなくなるの。

これが年をとるということ? そんなことを考えながら、最近、棚に水をあげて誰ともなく手を合わせだしたんだよね。ちょっと気休めになるような気がするよ。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【357】66歳オバ記者、特養に入った認知症の叔母から「黒い電車に乗って旅行にきた」と電話 「長年関わってきた歴史があるから目の前の姿を認めたくない」