2021年の新語・流行語大賞にノミネートされた「フェムテック」とは、女性特有の悩みやセクシャルウェルネスなど女性の健康に関する多くの課題に取り組むものです。その日本での第一人者が、日本フェムテック協会の代表理事を務める山田奈央子さん。下着コンシェルジュとしても活躍する山田さんは、どういった思いで現在の活動に至ったのでしょうか。自身のキャリアを交えながらお話ししていただきました。
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女性が活躍する社会を作りたいと思った幼少期の経験
幼少期を父親の仕事の関係でサウジアラビアで過ごしたという山田さん。サウジアラビアの居住区には、さまざまな国籍の家族がいて、働く女性が多く、中には世界を股にかけて活躍するキャリアウーマンもいたそうです。
「うちの母は居住区の中ではめずらしい専業主婦。以前は医療の仕事をしていたのですが、子育てのために仕事をやめていました。現地では専業主婦は浮いていて、嫌な思いをしたこともあったようです」(山田さん・以下同)
そんな山田さんの母は、「日本の女性は優秀なのに、みんな仕事をやめて主婦になってしまう。これは本当にもったいないこと。あなたが大人になる頃には、もっともっと女性が活躍できる社会になっているはずだから、手に職をつけたりして活躍してほしい」と、幼い山田さんによく話していたといいます。
「一方でサウジアラビアの現地の女性は、就労が制限されていました。また、一夫多妻制などもあり、女性の社会的地位も低いと言わざるをえない状況でした。そうした女性たちと、かたや自分の才能を開花させて活躍している女性とを見てきて、当時の日本は前者に近いと感じたんです」
母の言葉もあり、こうした現実はよくないと子どもながらに思ったという山田さん。女性がもっと自分らしく活躍できるようになる日本の社会を作りたいといった思いが、このとき自身の根底に生まれたのかもしれない、と振り返ります。
下着は自分を表現し、自信をつけるアイテム
そうして大学生になった山田さんは、下着に“目覚める”ことになります。きっかけは男性との交際でした。
「日本の大学に進学した頃に、お付き合いしていた年上男性がいました。彼は海外育ちで、ある日『海外には下着で自分をすてきに表現する女性が多い。君はなぜこういう地味なものをつけているの?』と言われました。
当時の私は、下着に興味はなく、この人は何を言ってるんだろう?とわけがわからなかったのですが、日本橋のデパートに連れて行ってもらって、彼が『彼女にもっとカラフルで素敵なものを』と店員さんと下着を選んで、プレゼントしてくれたんです。それを着たときに、こんなに見た目も気持ちも変われるんだと思ったことから下着が大好きになりました」
学生でお金がなく、下着なんて二の次だった山田さんにとって、それは刺激的な体験となりました。自分自身を表現できるような下着を選んで身につけることは、女性としての自信を得られることにつながると確信したのです。
下着が大好きになってからは、アルバイトして貯めたお金で海外に行き、現地の下着ブランドのショップを実際に自分の目で見て、ショップのオーナーとたくさん話をしたのだそうです。
「当時の日本と海外は、下着の文化がまったく違いました。彼が言っていたとおり、海外では下着は自分を表現するもので、結婚しても子供がいても女性でいるための武器であり、それが本当に素敵だと感じたんです。海外のショップのオーナーはどの人も生き様がかっこよくて、さらに下着が好きになりました。
私が訪れた海外の国では夫婦仲がいい人たちが多い印象で、パートナーが女性に下着をプレゼントすることが一般的でした。その姿を見て、下着はパートナー同士の仲の良さにもつながっているんだと痛感しました。
今思うと、貯めたお金を旅行と下着に注ぎ込んで、さまざまな女性の生き様と下着とを重ね合わせた学生時代でした。女性が表に出て活躍することと、下着への価値観には通ずるものがあるのかもしれないと学んだんです。当時は女性みんながこんなふうに下着を身につけられたら、日本の女性がより自分らしく生きられるかもしれないとイメージしていました」