ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。昨年末、「取材できると思って楽しみにしていたのに…」と初対面の女性ライターから言われるも、まったく思い出せず…ひと騒動あったという。その意外な顛末とはーー。オバ記者が綴る。
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32歳の若さで亡くなった実父のお墓参りへ
新年早々、とてもじゃないけど「おめでとう」なんて言えない幕開けをした2024年、テレビでニュースを見るのもつらい。“無事”ということがこれほどありがたいことだとは66年生きてきて思わなかった。ということはそれだけ恵まれてきたってことだよね。
実は昨年の12月30日、田舎に帰ってお墓参りをすることにしたの。この日は私が3歳になるのを待たずに32歳の若さで亡くなった実父の命日だ。けれど、実父亡きあと60年、「父ちゃん」という役についた義父に対する気がねもあってこれまでずっとお墓参りをする気持ちになれなかったんだわ。
でもその義父も亡くなったことだし、「墓参りしたいんだけど」と言うと、11歳年下の弟は「いいど」と茨城弁でふたつ返事で車を出してくれる。この弟が言うのよ。「オレ、ヤマザキって名前を名乗っているけど、母ちゃんの旧姓はエバタで父ちゃんはイケダだっぺ。じゃあ、ヤマザキって誰なんだ?」と。
弟も知らない“わが家の履歴書”
昨年まで「6年喪中」ってことは、その前は50年近くお葬式を出していない。55歳の弟が家の履歴を知らないのも当然といえば当然なのよね。こういうこと、あらためて話さないのはわが家だけかしら。
ヤマザキさんは私の実父の父親、つまりは私の祖父だ。その連れ合いが私の祖母で、この人は3回結婚している。一度目の人は結婚して間もなく病で亡くなり、祖母は幼子をひとり連れて実家に帰ってきた。それで故郷で2度目の結婚をしたものの一男一女をもうけたのちに病死。そして3度目の結婚相手が私の祖父だけど、この人も昭和18年に亡くなっている。
「じゃあよ。オレは母ちゃん以外、血縁関係がまったくねぇ人らに手を合わせてんだよな。なんかヘンじゃね?」と弟は言う。
が、それを違和感というなら、わが実家の納骨室にはもうひとつ、縁の薄い骨壺が納まっているんだわ。幼い私は1、2度見かけた実父の兄、ヒロさんのものだ。ヒロさんは祖母の2度目の夫の子だから姓はフクトミというはずなんだけど墓碑にはヤマザキと刻まれている。
「昔のことだからフクトミさんは入籍しなかったんだっぺよ」と生前、母親が言っていたが、ま、早い話が何事も茨城弁でいうところの「いいあんべ(いい加減)」なんだよね。
離婚しても嫁ぎ先の「野原」を使い続けている
そんなわけで背負うような立派な家名のない私にとって名前は単なる符号。だから28歳で離婚をするときに嫁ぎ先の名字を名乗ることに何の抵抗もなかったし、「野原広子」という覚えられやすい名前はけっこう気に入っていたの。なのにそれがここにきて、ちょっと困ったことになったのよ。
「野原さん、取材できると思って楽しみにしていたのに、この間はスケジュールが合わずに残念でした」
昨年暮れ、某誌の忘年会で初対面の美女ライター嬢がニコニコして声をかけてきたんだわ。
「ん? 私、取材の申し込みをされたっけ? それっていつの話?」と聞き返すと、「えーっ、そんなぁ~。今回はむずかしいってメールをくれたじゃないですか。野原さんに取材するの、楽しみにしていたからすごく残念でした」と言うではないの。