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「死後の世界」は存在するか?科学、医学、宗教の最前線が解き明かす「死の新常識」

老人の手に子供の手が重なっている
誰も知らない死の世界が最新研究で明らかに(写真/PIXTA)
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「死後の世界」は誰も見たことがない。だが近年、最新の科学でその存在が明らかになりつつあるという。死が恐ろしいのは、死が「わからないもの」だから。“死の正体”がわかれば、人生の最期にすべきことがおのずと見えてくるはずだ。

昔も今も変わらない「死の恐怖」

「死にとうない」

江戸時代の禅僧・仙がい義梵が今際の際に弟子たちから辞世の言葉を求められ、発した言葉だ。齢88の名僧がそんなことを言うはずがない、と弟子が聞き返すと、仙がいは繰り返した。

「ほんまに死にとうない」

このエピソードについて、慈陽院なごみ庵住職で、『もし明日が来ないとしたら、私はなにを後悔するだろう?』(アスコム)著者の浦上哲也さんが語る。

「この話からわかるのは、長年修行を積んだ高僧でさえ、死は怖いものだということ。仙がい和尚は“死はそう簡単に克服できるものではない”と伝えるために、あえてかっこ悪い言葉を弟子たちに残したのではないかと思います」

「死」はいずれ、どんな人にも平等に訪れる。現代社会でも誰もが「死にとうない」と、できる限りの健康長寿をめざし、病気になれば最新にして最善の治療を望む。医療の進歩で長寿が可能になったからこそ、人は「死の恐怖」を抱く。だが、それはいまも昔も変わらないのだ。

「日本に仏教が伝来したのは6世紀頃ですが、仏教が興るはるか以前から、インドには『輪廻転生』という考え方がありました。世界は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道という6つからなり、よい行いをすれば天上道へ、悪い行いをすれば地獄道へと、生前の行いによって生まれ変わる場所が変わると考えられています。

ところが釈迦は、たとえ天上道に生まれ変わったとしても煩悩は消えず、苦しみは続くと考えた。そうして興った仏教では『悟りを開く』ことで、この輪廻転生のサイクルから逃れられるとしました。悟ることなく死ぬと、次の人生でまた苦しみながら悟りをめざすのです。
つまり『死』は、命の終着点ではなく、悟りに向かうための途中だというのが、仏教における考え方です」(浦上さん・以下同)

だが、苦しみから逃れる条件が「悟り」なら、救われる人は格段に減る。

ハスの花
苦しみから逃れる条件を「悟り」とした浄土真宗(写真/PIXTA)
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「そこで、どんな人でも、その人の罪業にかかわらず阿弥陀様が救い上げ、仏様の住む『浄土』に導いてくれると教える浄土真宗が、仏教の1つの宗派として隆盛したのです」

念仏を称えれば誰でも浄土に行くことができる―こうして、どんなに貧しい人でも、罪人でも、死後の世界に救いを求めるようになった。だがこれはあくまでも、宗教学問での考え方。「あの世」「天国」といった考えは、現在もあらゆる宗教で説かれているが、実際に人が亡くなったら、どこに行くのだろうか。実はいま、最新の科学によって「死後の世界」の存在が証明されようとしている。

「死後の意識」は宇宙に残る

最先端の量子科学が仮説として論じている「死後の世界」とは何か。東京大学工学博士で『死は存在しない』(光文社)著者の田坂広志さんが解説する。

「物質も生物も意識も、この世界に存在するすべてのものは、最小単位まで分解すると、原子よりも小さな『素粒子』になります。この素粒子の実体は、実は“エネルギーの波動”です。そしていま、量子科学の分野で、宇宙に存在するすべての素粒子の波動は、ある場に波動情報として記録されており、従って人間が死んだ後も、その意識の波動情報は半永久的に記録されて残るという仮説が論じられているのです」

つまり、生前人が抱いた思考や感情の記録は、その人が亡くなっても永遠に残り続け、その記録が保存される場所が「死後の世界」と考えられるのだ。

「宇宙には『量子真空』と呼ばれる膨大なエネルギーに満ちた場が存在していることは、科学的に証明されています。そして、その量子真空の中に『ゼロ・ポイント・フィールド』という場があり、そこに宇宙のすべての情報が記録されていると考えられているのです。
従ってそこには、私たち一人ひとりの人生のすべての出来事や思考、感情が波動となって“記憶”されていると考えられています」(田坂さん・以下同)

すなわち、人が死んで肉体が滅びても、その人の意識の記憶は、宇宙全体に広がる“ゼロ・ポイント・フィールド=死後の世界”に存在し続けるということ。

「この仮説に従えば“死は存在しない”と言えますし、輪廻転生や前世の記憶、死者との交信といった不思議な現象にも説明がつきます。

なぜなら、このフィールドには、過去に地球上に存在したすべての人の思考や感情が記録されており、もし、現在生きている人の意識が何らかの理由で、このフィールドにつながれば、これらの“死者の記憶”に触れ、それを“自分の過去生の記憶”や“死者との交信”だと思い違いをする可能性があるからです」

死の苦しみの正体は「後悔の念」

人は死んでも、宇宙で“生き続ける”―では「死の瞬間」、人はどうなるのだろうか。精神科医の和田秀樹さんは、医学的見地から「死」を説明する。

「医学的に言えば、死とは“不可逆的にすべての細胞が不活化すること”。脳死や心臓停止が起きれば、数十分のタイムラグを経て、いずれすべての細胞が動かなくなる。これが医学的な『死』という現象です」

医師としてさまざまな人の死を見てきた和田さんは「死の瞬間に苦しみはない」と話す。

「大多数の人は、死の数時間前になると意識が薄れて、心臓が止まる瞬間まで、深い眠りにつくような状態です。死の直前まで痛みや苦しみを抱える人は例外的であるように感じます」(和田さん)

例えば、日本人の2人に1人が罹患し、日本人の死因第1位でもある「がん」について、WHOは、患者とその家族が直面する苦痛を大きく4つに分けている。

病気やけが、治療の副作用などから生じる「フィジカルペイン(身体的苦痛)」、経済的問題や人間関係などからくる「ソーシャルペイン(社会的苦痛)」、手術や治療への不安や恐怖、うつ状態といった「サイコロジカルペイン(精神的苦痛)」、そして、「生きている意味や目的がわからない、失われる」「死後、周囲に迷惑をかけてしまうのではないか」「いま死んだら、やり残したことがある」といった罪悪感、後悔の念といった「スピリチュアルペイン(霊的苦痛)」だ。

日本においては、このスピリチュアルペインこそが、もっとも対処が難しいとされる。

「死が近づいている人にとって、フィジカルペイン、ソーシャルペイン、サイコロジカルペインは、医療や生命保険、ソーシャルワーカーの協力などによって緩和できるのが一般的です。

ところが、死後の後悔や罪悪感に対峙し、対処するのは難しい。海外では、病院に宗教者が常駐していて、死が近づいた患者の心のケアをすることも多いのですが、日本では病院に僧侶がいるのは“縁起が悪い”と好まれません。わが国では“死の苦痛”とはスピリチュアルペイン、つまり、対処されていない“死後の後悔”のことなのではないでしょうか」(浦上さん・以下同)

お坊さんの後ろ姿
宗教者による「スピリチュアルペイン」へのケアは海外では一般的(写真/PIXTA)
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僧侶である浦上さんは、10年以上前から「死の体験旅行」というワークショップを主宰している。

「1人につき20枚のカードに『大切な人』『大切なもの』『大切にしている行い』などを書いていき、それを1枚ずつ手放していくことで、死を疑似体験してもらいます。仏教用語の『煩悩』とは“悪い欲求”のことだと考えている人も多いですが、本来の意味は“心身を悩ませる欲望”のこと。食欲などの生きるのに欠かせない欲求や、“もっと家族と一緒にいたい”“子供に充分な教育を与えたい”といった望みも煩悩の1つであり、煩悩は苦しみのもとになる一方で、生きる気力を与えるものでもあります。

最後に残ったカードに書かれていることが、その人にとってもっとも大切なもの、すなわち死の苦痛をもたらす煩悩ということになる。カードを手放すときに涙されるかたも少なくありません。死の恐怖とは、“いちばん大切なものを手放す後悔”と言えます」