
歌えば美声で聴衆を魅了し、話せば「オネエ言葉」を巧みに操り笑いも誘う。唯一無二のキャラクターで名をとどろかせた美川憲一(79才)の体は、悲鳴を上げていた。歌えなくなるかもしれない恐怖と対峙しながら、それでも美川は前を向いている。
色とりどりの刺繍やスパンコールで彩られた衣装に華やかなメイク。歌手でタレントの美川憲一は、いつもと変わらぬスタイルで舞台に上がると、代表曲『柳ヶ瀬ブルース』など全13曲を熱唱した──これは、いまから4か月前、今年7月にイベント出演した美川の様子だ。その頃にはもう予兆があらわれていた。
「ステージでの足取りはぎこちなく、歌い出しても、声量は普段よりも控えめでした。しかも楽屋に戻るとかなり疲れた様子でだるそうにしていて……。イベントのたびに『しぶとく生きるのよ』とファンを鼓舞するいつもの明るさが、この日は鳴りを潜めていました」(芸能関係者)
美川は11月13日、公式サイトを通じて「パーキンソン病」を患っていることを告白した。
これまで精力的にコンサートや歌番組への出演を続けていた美川が、めまいなどの体調不良を訴えたのは今年の夏頃のことだった。検査の結果、心臓の機能低下によってめまいや倦怠感といった症状が出る「洞不全症候群」と診断され、9月にはペースメーカーを埋め込む手術を受けた。そのリハビリの過程で、パーキンソン病が判明したのだ。
脳の神経伝達物質「ドーパミン」の減少が引き起こすこの病気の具体的な症状や治療法について、菅原脳神経外科クリニック院長の菅原道仁さんが説明する。
「ドーパミンの減少によって、脳から筋肉への情報伝達がうまくできなくなることで、手足の震えや筋肉のこわばり、歩行などの動作が鈍くなるなど体の動きにさまざまな障害が起きます。また、疲れやすくなるといった変化が生じることもあります。
高齢になるほど発症しやすく、65才以上の高齢者の100人に1人が罹患しているというデータもあります。完治は困難ですが、ドーパミンを補完する薬の服用で症状を抑えたり進行を遅らせることができます」
冒頭のイベントでの「足取りのぎこちなさ」は、症状の1つだったのかもしれない。闘病を余儀なくされた美川は、9~12月上旬に出演予定だったイベントを立て続けにキャンセルした。このまま病気が進行すると、いつかステージに立てなくなってしまうのか。
菅原さんは「ゆっくり進行する病気なので、すぐにどうこうという話ではありませんが……」と前置きした上でこう続ける。
「パーキンソン病の代表的な症状の1つに声の出にくさやかすれがあるので、美川さんも徐々にいま以上に歌いにくくなる可能性があります。
またパーキンソン病の症状に平衡感覚を保ちにくくなるというものがあります。それによって転倒して骨折してしまい、そのまま寝たきりになるというケースもあります。歌い続けるには服薬や筋力維持のリハビリが大切になってきます」
100才まで歌いたい
美川の人生は波瀾万丈だ。
美川は婚外子として生まれた。さらに、2才の頃には生みの母が結核を患い、母の姉が「育ての母」を担った。
苦労しながら育て上げてくれた“2人の母”に早く楽な生活を送ってほしい。そのために必要なのはお金だ──そう考えた美川は芸能界を目指し、19才で歌手デビュー。1966年リリースの3枚目のシングル『柳ヶ瀬ブルース』を筆頭にヒット曲を連発し、1968年から7年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場するなどスターダムにのし上がった。
「ただ、“いいとき”は長くは続きませんでした。レコードの売り上げが低迷して心が荒み、次第に“危ない”友人ともつきあうようになった美川さんは、1977年に大麻取締法違反の疑いで事情聴取を受け、1984年には同法違反容疑で逮捕されてしまったのです」(別の芸能関係者)
輝かしい芸能人生が一気に暗転した美川に、世間が向けた視線は冷ややかだった。逮捕後、活動を再開してもテレビの仕事はなく、あるのはスナックや温泉施設のステージでの歌唱といったドサ回りばかりだったという。
折れかけた心を支えたのは、「落ちるところまで落ちたら上を見るだけ」という母たちの言葉だった。
「自分が稼がなきゃ生活ができないと開き直り、“地方巡業”を精力的にこなしました。オネエ路線を切り開いたのもこの頃です。ある宴会場で歌っていたときにヤジに対して『ちょっと静かにおし!』『おだまり!』と返したところとてもウケたので、“これは使える”と判断し路線変更することにしたそうです。
美川さん自身の恋愛対象は女性で、自分は女装しているわけではないとも公言しています。それでも、美川さんに好奇の目を向けた人は決して少なくなく、差別的な扱いを受けることもありましたが、再ブレークする日が来ることを信じ、ぶれずに信念を貫き続けました」(前出・別の芸能関係者)
売れるために何でもするという努力が報われたのは1990年頃のことだ。タレントのコロッケ(65才)による美川のものまねが大ブームとなり、“本家”の人気にも再び火がついたのだ。

「1991年には紅白歌合戦に返り咲きましたが、本人は『ブームはいつか去るもの』といたって謙虚でした。
ただ、ユニークなキャラクターがお茶の間に広く受け入れられ、いまでは確固たる地位を確立しています」(前出・別の芸能関係者)
一度どん底を味わっているだけに、求めてくれる人がいる限りステージに立ち続けたいという思いは強い。
実際、2022年に雑誌のインタビューで「90才まで元気で歌いたい」と語ったかと思えば、今春『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際には「100才まで歌えるものなら歌いたい」と話しており、生涯現役への意欲はここ数年でさらに高まっているようだ。
「いまの目標は、12月14日と16日に開催されるコロッケさんとのイベントでステージに復帰することです。まだリハビリの途上で、どうなるか関係者もわからない状況ですが、筋力トレーニングに励むなど必死に前を向いています」(前出・芸能関係者)
今年7月頃には体の異変を感じていながら、120日ほど経ったこのタイミングで公表したことにも理由があるのだろう。
「詳しい説明なしにイベントのキャンセルが続くことでファンに不安な思いをさせたくなかったのでしょう。
また、コロッケさんとは旧知の仲ですから、“復帰するならここしかない”と気持ちを奮い立たせるという意味もあるのかもしれません。
美川さんは常々、“失敗も困難もあるけど、それを乗り越えていくのが人生”だと語っています。今回も逆境をはねのけてくれるでしょう」(前出・芸能関係者)
再びステージに美声を響かせ、“おだまり!”と一喝してくれるはずだ。
※女性セブン2025年12月4日号