
人生100年時代、65才まで定年延長する会社も増え、70才を超えても働くことが当たり前になっている。かつ現在は深刻な人手不足のため、女性の働き手を求める企業や職種は多いという。「この年齢で働ける?」―多くのシニアがそんな不安を抱えているが、先輩のリアルな声を聞いてみよう。
保育士/派遣
Oさん(62才)の場合
<時給1300円>
都内で夫、社会人の娘と3人暮らし。大学卒業後、メーカーに勤務。結婚を機に退職し、専業主婦に。娘の大学進学をきっかけに、約20年ぶりに働くことを決意。通信教育で保育士資格を取得。
55才で保育士資格を取得したものの…
35才で結婚したのを機に退職して以来、専業主婦だったOさん。娘の大学進学をきっかけに「また働きたい」と意欲が湧いてきたという。53才のときだった。
「本当は結婚後も仕事を続けたかったのですが、私が勤めていた会社では、社内結婚をした場合、女性が辞めるのが暗黙の了解でした。いまでは考えられませんが、20年以上前はそういう職場がたくさんあり、珍しいことではありませんでした。私もそういうものだと思って辞めてしまいました」(Oさん・以下同)
それ以来、パートをすることもなく20年が経った。
「子供が手を離れて寂しい気持ちもあり、子供にかかわる仕事がしたい、子育ての経験を生かしたい、と思うようになったんです。それで、保育園か幼稚園の先生を目指そうと決意しました。どちらも資格・免許取得に年齢制限がないので」
調べてみると、幼稚園教諭一種免許を取得するには大学、短大、保育系専門学校のいずれかの教諭養成課程で学び直す必要があり、最低でも2年かかることがわかった。高額な学費を考えると、現実的ではなかった。
「一方で、保育士の資格は独学でも取得可能でした。保育士不足が問題になっていたこともあり、こちらを目指すことに決めました」
結果、通信教育の保育士コースで学ぶことに。費用はおよそ8万円だった。
「本格的な勉強は大学受験以来。学ぶこと自体が楽しかったですね」
努力の甲斐あって、約1年後に保育士資格を取得。その後は職探しが始まった。
「55才で保育士となり、おまけに実務は未経験となるとなかなか難しくて。特に認可保育園は倍率も高いので、早々に諦めました」
都内の場合、認可外の保育園であれば求人は豊富にあった。面接までこぎつけたのは5園。そのうちのひとつから契約社員として採用してもらえた。
いざ働き始め、赤ちゃんを抱っこしたときは感動が込み上げたという。
「子供たちは皆、本当にかわいくて。給食を食べさせたり、お昼寝をさせたり、近くの公園までお散歩に行ったり…一日があっという間。最初の2か月は、帰宅しても家事なんて何もできないほど疲れ果てていました」
子供相手の仕事は体力勝負だと実感。それでも充実した日々を送っていたが、次第に職場の人間関係に悩まされるようになった。
「親ほども年の離れた新人保育士を指導するなんて、若い先生たちも戸惑ったと思います。『迷惑をかけているかも…』と、私も申し訳なさが募っていきました」
次第に仕事にストレスを感じるように。それでも、6才児が卒園するまでは絶対に辞めないと決意し、なんとか1年は勤めあげた。
「3月の卒園式を待って、退職しました。しばらくは放心状態でしたね」
それからコロナ禍となり、家にこもる日々が2年ほど続いた。コロナが収束に向かう頃、保育士の短期募集を見つけた。
「アプリで検索したら、保育士の短期募集がたくさんあって驚きました。1日数時間でOKとあり、思い切って応募してみたんです」
雇用は1日限り。そのため、職場の人間関係に煩わされずに働けたのがよかった。複数の施設を回るうち、自分の考えと合う園長に出会えたという。
「何度か働くうちにご指名をいただけるようになり、いまはその園で週2日ほど勤務しています。紆余曲折ありましたが、あのとき資格を取得してよかったと、いまは心から思えます」
ファイナンシャルプランナー・保険事務/パート
Mさん(60才)の場合
<時給1110円>
福岡県内で夫と2人暮らし。大学卒業後、建設会社に勤務し、結婚を機に退職。長男の高校進学をきっかけにレストランでパートを始める。3年後、51才で保険会社事務に転職。
病気が転機に! 人の役に立つ仕事をしたい
「パートで働いていた私が51才で保険会社に転職したのは、病気になったことがきっかけでした」と、Mさん(「」内以下同)。50才のときに、婦人科系の病気が判明し、手術を受けることになった。
「入院し、無事に手術も終わってから、『確か私、保険に入っていたような』とぼんやり思い出したんです」
20年前に母親にすすめられ、共済保険に入っていたが、すっかり忘れていた。
「この手術で5万円ほど保険が下りました。ありがたいと思っていたら、友人から『ほかの保険だったらその10倍はもらえたのに』と言われてびっくり。それまで、保険にまつわる知識がほとんどなかったんです」
当時、向井さんは近所のレストランでパートをしていた。専業主婦歴が長かったが、働きたいという意欲は持ち続けており、長男の高校進学を機に45才で始めた仕事だった。ここで5年勤め、店の仲間や常連客といい関係を築いていた矢先に、病気が判明した。
「このときは、先の人生について真剣に考えちゃって。保険ひとつとっても、新しい情報や知識って自ら知ろうとしない限り、永遠にあやふやなままだと痛感しました。私の経験を仕事に生かしたい、人の役に立つ仕事がしたい―そう思うようになりました」
求人サイトをのぞいたがピンとくるものがなく、地元のハローワークで探すと、保険事務の募集があった。
「『週2日から、未経験歓迎』とのことだったので、仕事をしながら保険の勉強ができるかもしれないと思い、応募しました。ノルマがある仕事は向いていないとわかっていたので、面接ではそのこともきちんと質問しました」
社長1人に、従業員2人の小さな会社だった。面接では、営業は必要ないと言われホッとしたという。手術のことを話すと、「あなたの経験はきっとお客さまの役に立ちます」と言われ、採用された。
「保険を販売するには、生命保険募集人や、損害保険募集人などの資格が必要だと知りました。
そのほか、外貨建て保険など特別な商品を販売するなら、また別の資格も必要。どれも合格率の高い資格ですが取得し、知識が増えるほど仕事がおもしろくなっていきました」
専門性を高めるべく、56才のときにファイナンシャルプランナー3級も取得。保険事務に必須ではないが、教育費用や年金、投資などのマネープランの相談に応じられるようになった。
「いまは2級の取得を目指して勉強中です」
向井さんの挑戦する勇気に学ぶことは多い。
取材・文/植木淳子
※女性セブン2026年1月22日号