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天皇皇后両陛下、親子3人で熊本へ 9月に予定されている熊本視察を被災地訪問に切り替えての実施が現実的か 上皇ご夫妻から受け継ぐ“国民への寄り添い方”

4月には福島県を訪問され、復興状況などを視察された(2026年4月。撮影/JMPA) 
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 雅子さまと熊本県は、浅からぬ縁がありながら、長らく足を運ぶことが叶わなかった場所。9月に予定される27年ぶりのご訪問は、先の震災で天皇ご一家にとってさらに大きな“意味”を持つものに──。

上皇ご夫妻が体現されてきた国民への寄り添い方

「日頃から側近たちは両陛下に“もっとお休みください”と進言しているのですが、おふたりはなかなか首を縦に振られません。7月の栃木県・那須御用邸でのご静養は、公務の合間を縫ってようやく実現したものでした。8月も静岡県の須崎御用邸で静養される予定でしたが、震災の報に接した両陛下のご判断は非常に迅速で、被災地に寄り添う決断をされました」(宮内庁関係者)

 7月28日、熊本県を震源とする地震が発生。同県宇城市と氷川町で最大震度7を観測するなど県内全域を強い揺れが襲い、8月4日時点で38名の死亡が確認されている。甚大な被害が発生していることに心を痛められた両陛下は、地震発生の翌日、8月3日から予定されていた須崎御用邸でのご静養の中止を決められた。

「夏のご静養は、皇族方の休息だけでなく、皇居で働く職員たちを休ませるためという意味も持ち合わせています。天皇ご一家が皇居を離れられると、その分、必要な人手が減少し、休みを取りやすくなるからです。両陛下はそれをご存じの上でなお、国民の気持ちに寄り添われ、祈りを捧げるご決断をされました」(前出・宮内庁関係者)

 2016年4月に起きた熊本地震から10年という節目を迎えた今年、両陛下は復興状況を視察するため、9月下旬に1泊2日で同県に足を運ばれる予定だった。

「ご訪問まですでに2か月を切っており、どの地域を回り、どこの施設を訪れるのかはほぼ決まっているはずですが、熊本県側の受け入れ体制がいつ整うか、まだ見通しは立ちません。ただ、両陛下が被災地を訪問し直接励まされることで、どれだけ被災者たちを勇気づけることになるかは計り知れない。両陛下はできるだけ早く、現地に向かうことができないか検討を進めているそうです」(前出・宮内庁関係者)

 そもそも、雅子さまにとって熊本はゆかりのある地。雅子さまの祖父・江頭豊氏は1964〜1971年にかけて化学工業メーカー「チッソ」の社長を務めていた。

「同社の工業廃水が原因で1950年代半ばに発生したのが『水俣病』でした。そのため、雅子さまのご成婚に際して江頭氏の経歴を案ずる声が上がり、宮内庁内でも慎重論が飛び交いました」(皇室ジャーナリスト)

両陛下を一目見たいと、空港からホテルまでの沿道には1万8000人が集まった(1999年11月、熊本県)
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 その熊本を、皇室に入られた雅子さまがご訪問できたのはたった一度、1999年11月に「全国身体障害者スポーツ大会」開会式に出席されたときのことだ。

「今回、ご訪問が実現すれば実に27年ぶりの再訪となります。当初は、雅子さまが水俣市を訪問され、患者や親族らと交流されれば、国民が水俣病を現在進行形の課題だと捉えることができ、理解を深めるまたとない機会になると目されていました」(前出・皇室ジャーナリスト)

 両陛下はなぜ発災からまもない時期のご訪問を望まれるのか。その背景には両陛下がお手本とされる、上皇ご夫妻が体現されてきた国民への寄り添い方があるという。10年前、熊本地震が発生した際に在位されていたのは上皇ご夫妻だった。

「一刻も早く被災地を見舞いたいと思案された上皇ご夫妻は、震災からわずか1か月後の2016年5月に日帰りでの熊本訪問を敢行されました。道路は寸断されていたため、移動は自衛隊のヘリコプター。特に被害が大きかった益城町と南阿蘇村の避難所を訪問された。当時おふたりは80才を超えており体力面を不安視する声もありましたが、強行日程の中でも膝をつき被災者と同じ目線で話をする“平成流”を貫かれたのです」(前出・皇室ジャーナリスト)

 当時、皇太子妃の雅子さまは、体調に波がある時期が続き、すぐに現地へ赴くことは難しかった。その代わり、同年の誕生日に公表された文書で《心の痛む災害の多い年》《被災地の復興に永く心を寄せていきたい》と綴り、被災地に思いを寄せられた。

 その気持ちは年を経ても薄れず、2018年に影絵作家・藤城清治さんの展覧会に足を運ばれた際には、発災直後の熊本城をデッサンした作品をじっくりとご覧になったうえで「石垣がいいですね」とご感想を述べられている。

 御代がわりの後も熊本に寄り添われ続ける雅子さまの心情が表れたのが、2020年7月に起きた集中豪雨のときのご対応だった。

「両陛下はこのとき現地訪問を強く希望されましたが、当時はコロナ禍。直接の訪問は泣く泣く断念し翌年、被害の大きかった地域の住民とオンラインで交流されたのです。被災者とのインターネットを介した交流はこれが初めてで、この後、両陛下は離島地域の住民ともオンラインを駆使して対話されるなど令和流の定番のひとつとなっています」(前出・宮内庁関係者)

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