
薄井シンシアさん(65歳)に「生きがい探しに苦しむことはありませんか?」という質問をぶつけたら、「捨てた」という言葉が返ってきた。17年間の専業主婦を経て、現在は外資系企業で働くシンシアさんは、なぜ生きがいを捨てたのか? 用意周到に準備したあとに直感を信じる心境とは?
* * *
ワークショップで「好きなこと」が見つからない
私は60歳になる直前に、「生きがい探し」という問題に直面しました。周りの人たちは「生きがい、生きがい」というけれど、私の生きがいって何だろう? 私は何のために毎朝起きるんだろう? と考えたのです。
悶々としているのは嫌だから、すぐに知り合いが開催している「生きがい」を考えるワークショップに参加しました。4時間1コマで1万円。新型コロナが蔓延している時期だったのでオンライン参加です。
ワークショップでは4つの質問をされました。「好きなことは何か?」「あなたができることは何か?」「あなたが他人からお金を払ってもらえることは何か?」「世の中があなたに求めるものは何か?」
生きがいを捨てた
「好きなことは何か?」という質問以外は、すぐに答えられました。私が好きなことは子育てで、それは過去のことだから生きがいにできない。ほかの参加者は、セミナーで何かを見つけていたけれど、私は答えを見つけられなかった。
でもそのとき、「私には好きなことがない。それなら『好き』という感情を無視して、ほかの3つの共通点を突き詰めればいいや」と感じました。だから私は生きがいを捨てました。生きがい探しに苦しむぐらいなら、生きがいはいりません。

残りの3つに共通していたのは「女性の復職サポート」と「ビジネスになるもの」でした。だから、生きがいを捨てて、タスクのために生きることにしました。タスクはスーパーのレジ打ちでも、友達との約束でもなんでもいい。タスクの中で一番サボれないものは相手がいるタスク。相手との約束があれば、嫌でも起きなくてはいけないでしょう? だから私が現れないと相手が困る状態に自分を追い込むように工夫しました。
直感に従って間違えたことは1つもない
私は物事を深く考えたあとは、直感を大事にしています。昔から、そういう傾向はあったけれど、最近ますます強くなった気がします。65歳になりましたが、私は幼いときから、いつも周りと違うことをしようとして叩かれながら生きてきました。
例えば、父は「女なんだから早く結婚したほうがいい。勉強なんてするな」という考えの人でした。だから私は父の考えに逆らう。一度逆らえば、自分の道を走るしかないじゃない? 自分が選んだ道が正しい道かどうかは数年後にわかるんだけど、大抵は間違えていない。60数年間生きてきて、間違ったことなんか1つもないと感じています。だから自分の中では、私が周りに逆らっているというよりも、時代が私に追いついていないだけだと思っています。
“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の波に乗る
私は1980年に留学生として日本へ来ました。当時の日本は、フィリピンではそれほど先進国だと認識されていませんでした。でも私は1979年に米国の社会学者が書いた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を読んで、「これからの時代は日本だな」と感じました。だから米国留学を捨てて、日本へ留学する奨学金を選びました。周りの人から「日本に行ってどうするんだ」と反対されましたが、いま振り返っても日本に来てよかったと思います。目の前に奨学金があって、直感も正しいと言っていたから迷いはありません。迷いがなければ、どんな邪魔が来てもすべてを振り払えます。

「直感=波に乗る」ということなのかもしれません。日本に来て感じたのは、私のように物事をはっきり発言する人が少ないこと。「珍しい」という理由でメディアの取材まで来てしまう。私にとって、日本という保守的な国は需要があるんですよ。
欲しいものは努力して勝ち取るか、奪う
私は1980年に自分で舵を切って日本へ来ました。みんなが共働きを選ぶときも舵を切って専業主婦になりました。そのたびに、目の前の人たちから「ダメだ、ダメだ」と言われたけど、そういうものをすべて振り払って正解だったと思います。
このハングリー精神は、人から反対されて育ったからこそ培われたのかもしれません。幼い頃から負けず嫌いで頑固。「ダメ」だと言われたら「なぜですか?」と聞き返すタイプ。目の前に「はい、どうぞ」と物を差し出された経験はありません。欲しいものは努力して勝ち取るか、人から奪うかでした。
だから職場で、私とウマが合う上司は、そこを見抜いて私をうまく使える人。これだけタフな相手だから競争しても無駄。うまく使ったほうが得です。ただ、上の人の意見には従います。私の場合、上司の意見がちょっと違うなと思えば、とりあえず意見を言います。それでも上司の決断が変わらなければ、最終的には上司が責任を取るんだから従います。その人の案に沿って結果を出せるように努力します。それが組織。 自分のプライドなんてどうでもいい。私の組織ではないし、私が一時的に所属している組織ですから。
◆薄井シンシアさん

1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社。65歳からはGIVEのフェーズに。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ