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「老化は進化です」マダム・チェリーこと福安千恵子さん(77才)“自分の好き”を大切にし、年を重ねたありのままの自分を輝かせる生き方

「チコちゃんは、いつも私の後ろに隠れている子だった」

健やかに年を重ね、“いま”を前向きに生きるチェリーさんだが、常に順風満帆だったわけではない。

チェリーさんは1946年、ロシア人の父と日本人の母のもと、兵庫・神戸の北野で生まれた。外国人が多く暮らす神戸であっても、終戦間もない頃。娘のことを考えた両親は、良家の子女を集めた公立小学校に通わせた。

神戸の自宅前でのチェリーさん、2才。「わがまま、人見知り、あがり症な子供だった」とは本人評(写真提供/福安千恵子さん)
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チェリーさんを6才の頃から知る幼なじみの和美さん(仮名)は、当時をこう振り返る。

「チコちゃん(チェリーさん)はくるくるの金髪でお人形みたいにかわいかったですよ。チコちゃんみたいになりたくて『トウモロコシを食べたらそんな髪の毛になれるの?』『ずっとお空を見てたからお目々がきれいなの?』と質問攻めにしたくらい。彼女の返事はいつも『知らなーい』でしたけどね(笑い)。チコちゃんはものすごくおとなしくて、いつも私の服の裾をつかんでモジモジしている子。だから、四十数年ぶりの再会で、『あの引っ込み思案なチコちゃんがモデル?』と驚きました」

和美さんのような友人に恵まれたものの、電車で大阪に行くときは別だった。

「西宮あたりまでは誰も私を見ないのに、武庫川を越えたあたりからジロジロとした視線を感じ、梅田に着くと露骨に私のことを言う声が聞こえて、すごく嫌でした。だから、誰にも見られないようにひたすら下を向いていた。学校でおとなしかったのは、それが影響しているんでしょうね」(チェリーさん・以下同)

六甲山へドライブ時の、15才のチェリーさん(中央)。母と弟と。「母はとてもおしゃれで、憧れの女性です」(チェリーさん)(写真提供/福安千恵子さん)
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高校を卒業すると、宝塚音楽学校に入学する。

「入ったのは父の希望です。『男は東大、女は宝塚』なんて言ってましたから。もちろん私も子供の頃から宝塚は大好き。でも、好きで見るのと自分が舞台に立つのはまた別の話。入学初日から『私は向いていない』と悟りました。

私、小さい頃から人と同じことができない性格で、そのうえあがり症。そんな私が50人のラインダンスを間違えずに踊るなんて、考えただけで気絶よ!」

それでも予科を終えて本科に進んだが、2年の学校生活を終えたところで、歌劇団へは進まなかった。

「両親はがっかりしたと思いますが、私は、ひとりでできて、人に迷惑をかけない仕事を、とモデルを選びました。少女時代からアメリカ版『SEVENTEEN』を愛読していましたから、おしゃれは大好きでした。

学校時代につけていただいた芸名『鳩こずえ』で活動したので、この時代の人たちからは『ぽっぽ』と呼ばれています」

箱入り娘として育ったチェリーさんの人生は、“ぽっぽ時代”から一変する。

(後編へ続く)

マダム・チェリーさんへの一問一答
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【プロフィール】

福安千恵子さん/1946年、兵庫県神戸市生まれ。ロシア人の父と日本人の母を持つ。宝塚音楽学校を卒業後、モデルデビュー。24才で結婚。家事や子育てに専念した後、2001年にカフェ「ラ・スリーズ」(兵庫県芦屋市)をオープン。2017年、70才でファッションブランドのモデルに抜擢され、話題となる2019年に著書『マダム・チェリーの「人生が楽しくなるおしゃれ」』(講談社)を発売し、ロングヒット中。Instagram「@madame.cherry1210」。12月1日「ホテル竹園芦屋」にてクリスマスディナーショーを控える。

取材・文/佐藤有栄

(後編に続く)

※女性セブン2024年12月5日号

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