
モデル再デビューは70才。72才のときに出版したおしゃれを楽しむ秘訣を記した著書がロングセラーを重ね、トークショーを開けばすぐに満席に。「老化は進化!」と言い切り、あるがままに人生を楽しむマダム・チェリーこと福安千恵子さん(77才)の生き方から、人生後半戦を前向きに美しく歩むヒントが見えてきた。【前後編の前編】
70才直前の出会いから人生の歯車が動き出す
関西屈指の高級住宅地・芦屋の一角に、小さなテラスを備えたシックなカフェ「ラ・スリーズ」がある。

「ようこそお越しくださいました」
満面の笑みで迎えてくれたのは、オーナーであるマダム・チェリー(以下、チェリーさん)だ。トレードマークのシルバーヘアと赤い口紅が、笑顔をいっそう華やかに盛り立てている。

カフェ経営に加え、モデル、インスタグラマーと毎日を忙しく駆け抜けているが、“想像もしていなかった”70代だという。
「まさか70才直前で“マダム・チェリー”という呼び名をつけていただくとは思ってもみませんでした。名付け親で、私をモデルの道に誘ってくださったデザイナーの角野元美さんとの出会いは、間違いなく私の人生の転換点。5年ほど前から始めたSNSを通じて、たくさんのかたが私に興味を持ってくださったこともびっくり。ありがたいですね。
ただ、モデルをやる前から、ずっと好きな服を着て、やりたいことをやってきたという私自身の生き方は実はさほど変わってないんです」(チェリーさん)

チェリーさんの“人生を変えた”角野さんは、全国に5店舗を構える女性向けブランド「レジィーナロマンティコ(以下、レジィーナ)」のオーナーデザイナーだ。チェリーさんをブランドのミューズに迎えた経緯をこう語る。
「9年ほど前、知人のSNSでマダム(チェリーさん)をお見かけし、『こんなに素敵なかたがいるなんて』と驚いたのが最初です」
当時は、2010年頃から始まった美魔女ブームが定着し、年齢を感じさせない外見美を目指すアンチエイジングが花盛り。韓国の美容ブームも相まって、「いくつになっても若く見られたい!」という風潮が高まっていた。
しかし、チェリーさんはその逆を行く存在だった。年齢に抗うことなく、自然体でおしゃれを楽しむチェリーさんの姿に角野さんは惹かれた。
「それまで私の作る服はどちらかというと若い人向けのイメージが強く、もっとシニアのかたにも着ていただきたいと思っていました。もしマダムのようなかたに着ていただけたら……と、モデルになってほしいとお願いしました」(角野さん)
ところが、チェリーさんの反応は「うーん……」と渋いものだった。
それが一転、モデルを引き受けたのはなぜか。

「私にはとてもできないと思ったのですが、撮影予定日の12月10日が私の70才の誕生日だったんです。
さらに、35才くらいのとき、人生一度きりの占いで『70才から花開く』と言われたことをふと思い出して。
当時は全然信じていなかったけれど、『これはご縁だな、やるしかない』と思い直してお引き受けしました」(チェリーさん)
果たしてその占い通り、チェリーさんの人生は、70才を機に変わり始める。
「モデルの仕事を出発点に、人生の歯車が再び動き出した感じですね」とは、娘のアンナさんの言葉だ。
「実際、カタログの中のマダムを見て『あんなふうに着こなしたい』というお客さまがとても増えました。90才で赤のコートを颯爽と着こなすかたもいらして、年齢層の広がりを実感しています」(角野さん・以下同)
目尻や首元のしわは隠さない、美しいシルバーヘアはチェリーさんの象徴
角野さんはチェリーさんのどこに魅力を感じたのか。
「マダムが着ると、服に深みが出るんです。デザインしている私ですら、『あれ、この服すごくかっこいい!』と感心するくらい(笑い)」
同年代の女性から憧れを集めるチェリーさんの着こなしには「人柄が表れている」と角野さんは続ける

「気さくで優しくてお茶目。裏表がなくて、おっしゃることがいつも正直なんです。マダムの凜とした佇まいに、生き方が表れているような気がします」
目尻や首元に刻まれたしわも決して隠そうとしたりはしない。むしろ、大ぶりのアクセントであえて視線が向く着こなしも。そして、チェリーさんを象徴するのが、美しいシルバーヘア。
年を重ねた自分のありのままを受け入れ、輝かせようとする姿に勇気づけられるファンも多い。
「白髪の出始めは42、43才頃。前髪にメッシュのように現れました。『いよいよ出てきたな』と思っていたら、とても素敵な男性から『かっこいいね』と褒められたんです。その言葉にうれしくなって、このままいこうと決めて以来、一度も染めたことはありません。男性からの意見も、けっこう大事ですね(笑い)」(チェリーさん・以下同)
だからといって、白髪染めを否定するつもりもないと言う。
「私はこの色が自分に合っていると思うから、そうしているだけ。自分がいちばん似合う選択をすればいいと思います。そのうえで、もしシルバーヘアを目指すなら、長期のプランニングが必要。私もしばらくは黒髪と白髪がまだらなショートヘアでしたが、シルバーヘアへの移行を機に伸ばすことにしました。エレガントなまとめ髪もできますから。
『1年後にはこう』と、目指すスタイルを決め、時間をかけて取り組むことをおすすめします」
美しいシルバーヘアを維持するためのケア方法は?
「特別なことはないですが、朝晩は必ずクッションブラシでブラッシングをしますね。髪というより、頭皮のために。表側だけでなく、下を向いて首元や耳元からと、頭の後ろ側もブラッシングするのがポイント」
エステや美容整形とも無縁のチェリーさんは、“自分の好き”を大切にすることを説く。
「老化は進化です。進化した自分が好きで、似合う色を身につけること。そこに年齢は関係ありません。そして、美しい所作と姿勢、歩き方。油断しているとアンナから『ママ、姿勢が悪いわよ』と叱られます(笑い)。
あとは“アホでいること”(笑い)。つまり、ストレスをためない。たまったら映画か宝塚を見ます。美しい男役がこちらを見てウインクしてくれるだけで10才は若返る。宝塚は“目から摂るコラーゲン”ですよ」
「チコちゃんは、いつも私の後ろに隠れている子だった」
健やかに年を重ね、“いま”を前向きに生きるチェリーさんだが、常に順風満帆だったわけではない。
チェリーさんは1946年、ロシア人の父と日本人の母のもと、兵庫・神戸の北野で生まれた。外国人が多く暮らす神戸であっても、終戦間もない頃。娘のことを考えた両親は、良家の子女を集めた公立小学校に通わせた。

チェリーさんを6才の頃から知る幼なじみの和美さん(仮名)は、当時をこう振り返る。
「チコちゃん(チェリーさん)はくるくるの金髪でお人形みたいにかわいかったですよ。チコちゃんみたいになりたくて『トウモロコシを食べたらそんな髪の毛になれるの?』『ずっとお空を見てたからお目々がきれいなの?』と質問攻めにしたくらい。彼女の返事はいつも『知らなーい』でしたけどね(笑い)。チコちゃんはものすごくおとなしくて、いつも私の服の裾をつかんでモジモジしている子。だから、四十数年ぶりの再会で、『あの引っ込み思案なチコちゃんがモデル?』と驚きました」
和美さんのような友人に恵まれたものの、電車で大阪に行くときは別だった。
「西宮あたりまでは誰も私を見ないのに、武庫川を越えたあたりからジロジロとした視線を感じ、梅田に着くと露骨に私のことを言う声が聞こえて、すごく嫌でした。だから、誰にも見られないようにひたすら下を向いていた。学校でおとなしかったのは、それが影響しているんでしょうね」(チェリーさん・以下同)

高校を卒業すると、宝塚音楽学校に入学する。
「入ったのは父の希望です。『男は東大、女は宝塚』なんて言ってましたから。もちろん私も子供の頃から宝塚は大好き。でも、好きで見るのと自分が舞台に立つのはまた別の話。入学初日から『私は向いていない』と悟りました。
私、小さい頃から人と同じことができない性格で、そのうえあがり症。そんな私が50人のラインダンスを間違えずに踊るなんて、考えただけで気絶よ!」
それでも予科を終えて本科に進んだが、2年の学校生活を終えたところで、歌劇団へは進まなかった。
「両親はがっかりしたと思いますが、私は、ひとりでできて、人に迷惑をかけない仕事を、とモデルを選びました。少女時代からアメリカ版『SEVENTEEN』を愛読していましたから、おしゃれは大好きでした。
学校時代につけていただいた芸名『鳩こずえ』で活動したので、この時代の人たちからは『ぽっぽ』と呼ばれています」
箱入り娘として育ったチェリーさんの人生は、“ぽっぽ時代”から一変する。

【プロフィール】
福安千恵子さん/1946年、兵庫県神戸市生まれ。ロシア人の父と日本人の母を持つ。宝塚音楽学校を卒業後、モデルデビュー。24才で結婚。家事や子育てに専念した後、2001年にカフェ「ラ・スリーズ」(兵庫県芦屋市)をオープン。2017年、70才でファッションブランドのモデルに抜擢され、話題となる2019年に著書『マダム・チェリーの「人生が楽しくなるおしゃれ」』(講談社)を発売し、ロングヒット中。Instagram「@madame.cherry1210」。12月1日「ホテル竹園芦屋」にてクリスマスディナーショーを控える。
取材・文/佐藤有栄
※女性セブン2024年12月5日号