健康・医療

江戸時代を生きた「長寿の名医・名将」が実践していた食生活 「生ものを食べない」「食後は300歩くらい歩く」「冷や酒は体に悪い」

『養生訓』では「食後に長く安座してはいけない」「食後すぐに眠ることは禁物」「食後は300歩くらい歩き、時にはもっと歩くといい」などとも説いている。

「食後は副交感神経が優位になって眠くなるものですが、食休みのときに横になるのは避けて。消化が妨げられ、自律神経のバランスが悪くなりやすく、逆流性食道炎のリスクも上がります」(周東さん)

さらに「怒った後に食べない、食べた後に怒ってはいけない」「おやつは食べすぎなければいい」という教えもあった。

「怒りの感情は消化を悪くすると考えられています。またお菓子や酒は度が過ぎると害になりますが、食後に少し口にする程度なら、楽しみや生活の充実につながるとしています」(謝さん・以下同)

1700年以降になると江戸の町には駄菓子屋ができ、庶民でも自分のお金で気軽にお菓子を買うことができたという。

薬を飲むより大根・梅干し・甘酒

浮世絵師の葛飾北斎は70才を前に脳血管障害を患った際、自ら「薬」をつくって回復し、88才まで生き延びた。北斎自身が書き残したという『葛飾北斎伝』には、刻んだゆずを日本酒で煮詰め、白湯で割ってのむことで病気を克服したとある。また「竜眼(ライチに似た果実)と砂糖と焼酎でつくった”長寿の薬”のおかげで、88才まで病気になっていない」とも語っていたという。

当時の「薬」といえば漢方薬を指す。庶民には手が届きにくかったが、お金に余裕のある者は町医者が処方する「薬」をのむことができたとされる。だが『養生訓』『養生七不可』では、「本当に必要なとき以外、薬をのんではいけない」「すぐに薬を出す医者は信頼できない」としている。

「漢方薬とはいえ副作用のリスクがあり、時には病気よりも薬の方が害になりえることを知っていたのでしょう。現代でも日本人は)薬好き”といわれますが、安易に薬に頼らず、日々の食事などで自分の免疫力を養うことが大切なのです」

養生訓の抜き出し
日本人の”困った薬好き”は江戸時代から(出典/養生訓)
写真4枚

滋養をつけて、体を元気にする意味で重用されたのが卵。1785年に出版されたベストセラー『万宝料理秘密箱』の「玉子百珍」には100種以上の卵料理が収録され、「卵ふわふわ」などに代表される数々の卵料理が生まれた。だが、庶民にとっては憧れの食べ物だったという。江戸料理研究家の車浮代(くるま・うきよ)さんが語る。

「現代の感覚で言うと、1つ500円くらいの高級品で、ハレの日に食べる憧れの味でした。関東の卵焼きが甘いのは、同じく高級品だった砂糖と合わせて、お祝い事のための料理としてつくられたものが残っているためです」

贅沢品だった卵は“食物繊維とビタミンC以外をすべて含んだ完全栄養食”のため、お見舞いの品や病気の療養食としても好まれた。

「江戸時代から”かぜをひいたら卵酒を飲むといい””首にねぎを巻くといい”といわれていました。地方出身者が多かった江戸では、各地の民間療法が口伝えで広まり、人々が効果を感じたものだけが残っていったのです。

卵のように病気回復や健康増進にいいものを食べることは『薬食い』と呼ばれます。有名なものでは”しょうがと山椒をお湯に混ぜて飲むと軽い体調不良は治る””みかんの皮としょうがを煎じた汁を飲むとかぜが治る”などといわれていました」(武光さん)

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