
全国で自治体に登録された犬のうち、狂犬病ワクチンを接種する犬の割合はここ数年、毎年70%程度にとどまっている。日本では飼い犬は年1回、狂犬病の予防注射を受けることになっているが、昭和期の100%近い接種率からは低下している。改めて、なぜ狂犬病ワクチンが義務づけられているのか、獣医師の鳥海早紀さんに解説してもらった。
致死率100%の病、人間の感染は99%が犬から
狂犬病は、狂犬病ウイルスが中枢神経系に広がり、脳と脊髄に炎症が生じて、さまざまな神経障害を引き起こす病気だ。人間を含め、基本的に全ての哺乳類に感染しうる病気で、発症すれば、ほぼ100%死亡する。
獣医師の鳥海早紀さんは「発症後の経過は、狂操型と麻痺型の2パターンに分かれます。狂操型は興奮し、攻撃的になり、よだれや咽頭部痙攣により水を飲むことができない状態(恐水症状)に。脳炎が進行して死に至ります。麻痺型は咬まれた部位から筋肉の麻痺が広がり、昏睡が進んで死亡します」と説明する。
狂操型と麻痺型の比率はおよそ8:2。狂操型は症状が出てから命を落とすまで1週間程度という。麻痺型は狂操型ほど劇症ではなく、狂操型より長い経過をたどることが多い。
感染経路は、狂犬病にかかった動物に咬まれるなどして、唾液中のウイルスが、傷口から体内に入ることで感染する。理論上はヒトからヒトへの感染もありえるが、実際にはそのような例は報告されていない。
「ヒトへの感染源で圧倒的に多いのが犬なんです。世界で毎年5万人以上が狂犬病で亡くなりますが、このほとんどは犬に咬まれるか引っかかれるかして、狂犬病に感染しているそうです。だから、飼い犬に毎年ワクチンを接種させることが、狂犬病予防法に定められています」(鳥海さん・以下同)
世界保健機関(WHO)は、世界で毎年5万9000人が狂犬病で命を落としていると推計しており、その99%が犬からの感染だとしている。
日本は今のところ狂犬病清浄国だがこの先は…?
日本では、狂犬病予防法によって、生後91日以上の犬(未接種または接種不明)を飼い始めて30日以内に1回、翌年以降は毎年4月1日~6月30日に1回、狂犬病の予防注射を飼い犬に受けさせることが、飼い主に義務づけられている。また、注射済票を鑑札と共に犬に装着することも、飼い主の義務だ。そもそも、飼い犬を自治体に登録するのも、自治体で飼育頭数を把握し、狂犬病発生時に対策の基礎情報としたり、狂犬病ワクチン製造量の目安としたりする目的がある。

こうまで厳重なのは、狂犬病がヒトにも感染するから、発症すればほぼ100%死亡する病気だから、そしてヒトの狂犬病は犬から感染することがほとんどだからだ。
狂犬病予防法は1950年8月に公布され、日本での狂犬病発症例はヒトで1956年、動物で1957年が最後となっている。ただし、輸入感染症例が1970年に1例、2006年に2例、2020年に1例ある。ネパールやフィリピンで犬に咬まれて感染した人が日本に帰国(または入国)し、日本で発症し、亡くなったものだ。感染しても、ウイルスが中枢神経系に達する前に連続してワクチンを接種すれば発症を抑えることはできるが、これらの輸入症例では患者はワクチンを接種していなかった。
「世界に狂犬病清浄国・地域は、日本のほかにオーストラリアやニュージーランドなど数か国に限られていて、その多くが島国です。逆に言えば、世界のほとんどの国と地域に、まだ狂犬病があります」
2024年に訪日客数は過去最多の約3687万人に達した。海外から日本へ狂犬病ウイルスが入ってくる可能性はゼロではない。
「コウモリやアライグマ、キツネなどの野生動物の間で蔓延する可能性もあります。日本に入ってきたものを万が一、封じ込められなかったとしても、一気に広がってしまうことがないように、犬の全頭接種が重要なんです」
注射を嫌がる子には病院に対するイメージアップ作戦で
とはいえ、注射や病院が好きな犬はそうそういない。飼い主さんは愛犬に予防接種を受けさせるために時間も労力も、時には体力もかなり費やすことになる。なるべくスムーズに済ませるにはどうしたらいいのか。

「正直、難しいですよね。他のワンちゃんがいると興奮したり緊張したりする子の場合は、自治体が主催する集合注射を避けて、かかりつけの動物病院で受けるのがいいかもしれません。ワクチン自体の価格は変わりません。病院の場合には診察料が別途かかりますが、定期的に通ってきた病院の個室で、何度か会ったことのある獣医師が打つほうが、ストレスがいくらか緩和されると思います」
動物病院には定期健診やちょっとした心配事でも連れて行き、なるべく慣れておくと、愛犬への負荷をさらに抑えられるだろう。
「病院にいる間、褒めたりおやつをあげたりして、犬にとって“病院=いいことが起きる場所”というイメージを植え付けるのもいいと思います。もちろん、予防接種の後もめちゃくちゃ褒めてあげてください」
接種後、1週間ほどは激しい運動やシャンプーは控えることが望ましい
ほかに予防接種で気を付けるべきこととしては、接種後のアレルギー反応やアナフィラキシー反応がないかどうか経過を観察することが挙げられる。接種後、30分ぐらいは愛犬のすぐそばに待機したいところだ。また、接種後、1週間ほどは激しい運動やシャンプーは控えることが望ましい。
「春はフィラリア予防やノミ・ダニ予防にも力を入れるべき季節ですが、何かあった場合に原因を特定しやすいように、狂犬病ワクチン接種とは予防措置のタイミングをずらす考え方もあります。治療中の病気があって服薬中の場合は、それもかかりつけ医に相談を。予防接種、苦労されるかたも多いと思うのですが、愛犬のためにも、社会のためにも、頑張って受けに行きましょう!」
◆教えてくれたのは:獣医師・鳥海早紀さん

獣医師。山口大学卒業(獣医解剖学研究室)。一般診療で経験を積み、院長も経験。現在は獣医麻酔科担当としてアニコムグループの動物病院で手術麻酔を担当している。
取材・文/赤坂麻実
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