上演ごとに変わる雰囲気は“アドリブ”ではなく“お客さまを置いてけぼりにしない”演出
──ジーニーは客席との掛け合いがあったり、俳優によってせりふが違ったり、同じせりふでも言い方が変わったりします。劇団四季の舞台は台本に忠実でアドリブ禁止と思っていたのですが、ジーニーには、アドリブが許されているんでしょうか?
瀧山:基本的にはアドリブが許されているわけではありません。アラジンからどこから来たのかと問われて、ジーニー役の俳優が実際の出身地を答える場面も、実はしっかり台本があるんですよ。
──山口県出身の瀧山さんが「山口から出て来たほっちゃ」という、あの場面ですね!
瀧山:そうです。ただ、クリエイティブスタッフからいちばん大事にしてほしいと言われたのは、ジーニーは出てくるだけで雰囲気を明るくする“太陽のような存在”であるということ。そして少年のような心を持ちながらも、何万年も生きている人間としての深さも持ち合わせている、ということ。
最初はこれを理解するのが難しくて、いろいろトライしながらも壁にぶち当たっていました。でもある日、劇団の先輩から「ジーニーはとてもいい奴なんですよ」と教えていただいたことで、霧が晴れまして。ジーニーはいい奴。だから、お客さまも置いてけぼりにはしないんです。台本から外れない範囲でお客さまとキャッチボールをするのは、それが理由なんです。
──本番中に子どもが泣いたり笑ったりすると、瀧山さんが反応されることもありますよね。
瀧山:それで言うと2015年の開幕前日の公開稽古中、客席で泣き出したお子さまがいらっしゃったんです。大きな音や光に驚いてしまったんでしょうね。思わず舞台から手を振ったら客席も盛り上がりましたし、クリエイティブスタッフからも「ナイスアシスト!」と言われました。
──「子どもにいい返しをしたね」と褒められたんですか?
瀧山:いえ、「あの子にいいアシストしてもらえたね!」と。いい評価をもらえて、よかった〜って胸をなで下ろしました(笑い)。もしあのときダメ出しされていたら、いまのスタイルはなかったと思います。
アドリブといえばアドリブかもしれませんが、客席と舞台をつなぐのがジーニーの役目だと自信が持てるようになりました。

浅利慶太さんの教え「居て捨てて語る」を追求し続けて
──いい奴すぎると言えば、アラジンがジャスミンと結婚するから、最後の願いはジーニーのために使えないと言ったとき、ジーニーは恨めしさは語らず、アラジンを祝福しますよね。とても哀愁を感じるシーンです。
瀧山:そこは稽古中に、クリエイティブスタッフから「本気でアラジンのことを許して、本気で彼の結婚を祝ってあげてほしい」と言われていたんです。台本を読むと、まるで喧嘩しているかのようなせりふの流れなんですが、ジーニーは決して怒っているわけではない。いまだに演じるのが難しく、試行錯誤しているシーンです。
──長年演じている役でもそうした苦悩はあるのですね。劇団四季には「慣れだれ崩れ=去れ」というモットーがありますが、10年の間、1つの役を続けてきて、毎回フレッシュに演じることについて心がけていることがあれば教えてください。
瀧山:「慣れだれ崩れ=去れ」は劇団四季創立者の浅利慶太先生が残してくださった有名なフレーズですけれど、実は他にも「居て捨てて語る」という言葉があって、私はこれをいつも意識しています。
意味は、「ただそこに存在して、顕示欲や自分の都合を捨てて、シンプルに語る」というもの。登場人物がどういう心境でそこに立っているのかを決めるのはお客さまであって、俳優がこういう気持ちなんだと演技に込めた瞬間に、ただの提示で終わってしまう。物語がそれだけになってしまうから、自分がいままで準備してきたものを捨てろ、ということです。
これは大変難しく、俳優にとって闘いでもあるんですけれど、これこそが新鮮に舞台を届けるということなんだと、最近、実感しています。
──とくに最近、と言うのは?
瀧山:やはりほかの作品(『ゴースト&レディ』のジョン・ホール役など)から戻ってきて、再びジーニーを演じるときに、強く実感しますね。
それと、こちらの電通四季劇場[海]が入っているビル(カレッタ汐留)が改修工事で長く閉じた期間(2023年。8か月間)に、クリエイティブスタッフから「みんながこの物語をもう充分理解しているのはわかったから、俳優力をワンランク上げて、この舞台に臨んでみましょう」というアプローチがあったんです。
そのとき、作品冒頭にジーニーが言う「サラーム」というせりふに対して、「どういう気持ちでサラームって言っていますか?」と聞かれ「来てくれたお客さまに挨拶しています」と言ったら「本当に? いま瀧山くんの言ったサラームという音程は、すごく聞き覚えがあるよ?」とダメ出しを受けたんです。「幕が開いた瞬間、目の前にいるのが、キラキラ目を輝かせている子供なのか、週末に家族サービスで来ているお父さんなのかで、かける挨拶は変わってくるだろう?」ということなんですね。
──むしろ、いつ見ても同じように見せることが求められているのかと思っていました。
瀧山:実際に舞台に立った私自身、今日はリピーターのお客さまが多いなって感じるときもあれば、そうではないって感じるときもある。そうではないときにどんどん飛ばしても、初めて見るかたはついて来られないでしょうし、逆にリピーターのかたには、“こうすればこうなる”というお約束を捨てた方が、熱気が高まることもあると思うんです。
たとえばジーニーが提灯を出すシーンがありますが、流れを知っているリピーターのかたは「はいはい、提灯ね」と思うシーンです。リピーターのかたが多いと感じた日は、演じ方を変えると、お客様の心をほぐしつつ進行できる。
──たしかにあの提灯を取り出すシーンは、リピーターがどう反応するか、緊張すると思います。
瀧山:忘れもしない、上演1周年の日のこと。舞台に出て行っただけで拍手が巻き起こったのに、提灯のくだりでシーンとなって。それまで演じてきて初めてのことでした。
この場面のみならず、歌を披露した後の熱気はすごいのに、笑っていただけるポイントだとわれわれが思っている部分で、ことごとくシーンとして、空調の音が聞こえるくらい(苦笑)。
こういう経験もあって、こちらがエネルギーをもって舞台に臨むことが、演劇というものなんだなと思います。

──その日は1周年ということで、観客はリピーターがほとんどだったんでしょうね。ただ、本気で役を捨ててしまったらせりふも出てこない気がしてしまうんですが…どうされているんですか?
瀧山:“捨てた”人の演技は見ていてわかります。作品というレールの上をお互いに走っているのに、綱渡りをしているようなドキドキする応酬が生まれるんです。せりふも噛みそうになるくらい勢いがあるし、舞台上で大丈夫かな?って不安になるくらい。でもその方が“生きている”感じがするし、お客さまの熱気も高まるんです。アドリブの応酬とはまったくの別物ですね。
まさに、劇団四季の『アラジン』誕生秘話ともいえる、10年前を振り返ってくれたジーニー役の瀧山さん。サービス精神旺盛に身振り手振りで話しながらも、インタビュー開始当初は、手にハンカチを握りしめ、汗をかきながら緊張気味だったのが印象的だった。

【中編】では、瀧山さんだからこそ話せる『アラジン』の見どころや役作り、休日のリフレッシュ術などをお伝えします。
取材・文/辻本幸路 撮影/五十嵐美弥