「ママはいつ帰ってくるの?」
だが、娘の成長とともに2人は「ママがいない」現実と対峙することも余儀なくされる。
〈2023年8月20日(日)
和の三回忌。
遠藤家と櫛引家が善徳寺に集まった。
娘には「ママは亡くなった」とはまだ伝えていない。
今日の法要の意味も説明していない。
「ママはいつ帰ってくるの?」と聞かれるときもある。
「いつだろうね」。
僕はそう返してしまっている。〉
娘の、ママへの思いは日増しに募っていく。同時に、将一さんの中でも葛藤が広がっていった。
〈2024年7月5日(金)
娘は「東京がいい」と繰り返す。「前のおうちに行きたい」とも―「あのおうちは借りていただけで、もう返しちゃったんだよ」「え、いまは別の人が住んでるの?やだ!」。
彼女の様子を見ていると、東京のあの家に行けば、ママに会えると思っているようにも感じられて、反応に悩む。

2025年11月8日(土)
「パパとふたりは嫌!」
「しょうがないじゃん」
「3人がいい!」
「……」
「でも、ママいないんだもんね」
「……」
「ママ、死んじゃったんだもんね」
「ごめんな」
「なんで、ママ死んじゃったの」
「お腹の病気で亡くなったんだよ」
「どうして」
「パパが、ママを守れなくてごめんな」
「どうして」
2025年11月30日(日)
「早くママに会いたいな」
それだけの日もある。
パパもママに会いたい。〉
娘は来年、小学生になる。ランドセルはむらさき色。さらに成長を重ね世界が広がれば、喜びが増えながらも、悲しさを覚える日もあるだろう。将一さんが思いを明かす。
「娘にとって、和と一緒に過ごした時間より、和がいなくなってからの時間の方がずっと長くなりました。
小学生になった娘が、“読みたい”と言ったら、和の日記を手に取る日がくるかもしれません。
娘がいずれ何かの壁にぶつかったとき、母親である和がどういう考えでいたかを知るヒントになればいいな、と思っています。
大切な人との時間は、当たり前のものではありません。だからこそ、目の前にある一日一日を、特別な時間だと思って過ごしてほしいんです」
※女性セブン2026年10月5日号