
40年来の親友である萬田久子さんと神津はづきさんは、ともに“推し活”を楽しむ仲でもある。神津はづきさんの著書『ママはいつもつけまつげ』には、その様子も綴られている。
《私が初めて好きになった男の人は、郷ひろみさんだ。(中略)気付けば半世紀以上、変わらない距離で変わらず好きでいられるのは、私にとって郷さんが一度好きになったら生涯嫌いになることはない“ミッキーマウス”みたいな存在であり、郷さんの誠実な人間力によるものだと思う。 今も私は萬田久子さんと郷さんのコンサートに行っては、拳を振り上げ『GO! GO!』とやっている》
今回は萬田さんと神津さんが“推し活”について語り合った。【全5回の第4回。第1回を読む】
独特なコールに「さすが萬田久子だわ」
神津:私たちの推し、郷さんね。
萬田:そう、ヒロミ・ゴーよ。
神津:衝撃的だったのが、萬田さんのコール。“あれっ、萬田さん、今なんて言ってる?”と耳を寄せたら……。
萬田:「6千万! 6千万!」って。
神津:曲名が『2億4千万の瞳 ─エキゾチック・ジャパン─』だから、言うなら「億千万!」なのよね(笑い)。
萬田:しかも声を張ってね。正解を教わったのが、つい何年か前だったかしら。
神津:コールも独特で。コンサートではお決まりの「H・I・R・O・M・I ヒロミ ゴーゴーゴーゴー レッツゴー ヒロミ」があるんだけど、萬田さんには「ヒロミ 大好き 久子だよ」の続きがある(笑い)。イエーイとノリノリで大声援を送るから、まわりのみんなも「えっ、誰?」とザワついちゃって。さすが萬田久子だわ、と思って眺めてる。ちなみに私は9歳で恋に落ちたけど、萬田さんはいつ頃からファンになったのかしら。
萬田:中2の時だったかな。『男の子女の子』の♪ヘイヘイヘイ♪でひとめぼれ。テレビの中にいる、遠い憧れの人ですよ。だから、はーちゃんの本を読んで、当時の郷さんの楽屋へ連れて行ってもらったなんて、うらやましいなって。
私はね、一番初めのファンクラブに入っているの。お小遣いで入ったから1年くらいしか続かなくて、その後は『明星』『平凡』を買うくらいだったけど。あっ、でも、大阪フェスティバルホールのコンサートとサイン会に並んだことは覚えている。
神津:ドキドキの初対面は?
萬田:芸能界にデビューして、歌番組の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)でお会いしたのかしら。司会の芳村真理さんのヘアメイクさんと私が知り合いで、その人から郷さんが出る日を教えてもらって、ご挨拶にうかがったんだと思う。郷さんを紹介してもらって、その日のツーショットのポラロイドは今も大切にしている。
神津:そんな淡い思い出があったんだ。いつの日も推しに変わりはなかったけど、私たちも年齢を重ねると生活も変わって、子育て期間はコンサートに行く余裕もなくなった。テレビで見て応援するのが精いっぱいで。それがいつからか、萬田さんの誕生日に郷さんが来てくれるようになって。
萬田:いつのまにか、リッキー(萬田さんのパートナーの愛称)が割り込んで(笑い)、郷さんと仲良くなって呼んでくれたのよ。花束を持ったヒロミ・ゴーが玄関に立っていたからびっくりしちゃったけど、ちょっとずるい。私が郷さん、郷さん、と言うのが面白くなかったのかもしれないけど、ちゃっかりゴルフ友達になっていたのよ。

神津:それ、うちの父もよくやっていた。ママがちょっと“あの人いいわ”なんて言うと、必ず自分が先に親しくなって、サプライズでコンサートに招いたりするの。で、ママがいつも“またパパにやられた!”って(笑い)。
萬田:あはは! なんだろうね。男の人の面白い心理よね。
神津:ちょっと女々しいというか。
萬田:はーちゃん、そう言ったらおしまいだ(笑い)。
神津:へへ。でもリッキーさんが誘ってくれたおかげで、またヒロミ・ゴーのコンサートに参戦するきっかけができたから、感謝もしているのよ。
〈萬田さんは1987年、アパレル会社社長との間に長男を出産。長男を交えた3人で同居し、事実婚を貫いた。パートナーの病により、2011年に死別している。〉
萬田:愛しの郷さんの推し活もそうだけど、子育て中は私たちもほとんど会っていなかったわよね。お腹が大きい姿はお互いに見ていないし、子育ての時期はやっぱり、ママ友との情報交換が生活の中心で疎遠になった。
神津:うん。何回か会う機会がささやかにあったかなくらいで、こうして頻繁に会うようになったのは、子供たちが大きくなってからですね。若かった私たちも60代になったけど、萬田さんは109歳まで生きる予定だから、まだまだ時間はたっぷりある。
萬田:なんと余命43年よ(笑い)。9のつく年齢が、私にとって節目になってきたのよね。19歳でミス・ユニバースの日本代表に選ばれて、29歳でニューヨークで出産、39歳で初舞台、49歳でイギリス遊学、59歳でホノルルフルマラソン……。69歳はまだヒ・ミ・ツ。人生100年時代というなら109歳まで生きようじゃないの、って。
神津:それを聞いて思い出した。
萬田:ディーン(・フジオカ)の話? 彼にこの話をしたら、うれしそうに「ぼく、今43歳ですよ」って。あら、43同士で奇遇ねと盛り上がったんだけど、「来年には、あなたは44歳になって、私は余命42年になるわ」なんていう話のことでしょ。
神津:すれ違いで、この先はこちらの残りが減っていくから。
(第5回に続く。第1回を読む)
【プロフィール】
萬田久子(まんだ・ひさこ)/1958年大阪府生まれ。短大在学中にミス・ユニバース日本代表に選出され、1980年にNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』で女優デビュー。以来、主演を含む多くのドラマに出演し、映画、舞台でも活躍。2023年『グランマの憂鬱』では主演を務め話題に。長年さまざまな雑誌やメディアで唯一無二のファッションアイコンとして注目され、近年は自身のインスタグラム(@hisako.manda_official)で披露している私服ファッションにファンが多数。
神津はづき(こうづ・はづき)/1962年東京都生まれ。東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨークへ留学。帰国後、母・中村メイコさんの後を継いで女優となる。1992年、俳優・杉本哲太と結婚。一男一女の母。現在は月に2回ほど刺繍の先生をするほか、本物の大人に必要なアイテムを制作しようと受注ブランド『Petit Tailor R-60』を展開中。今後の夢は盛りだくさん。インスタグラム(@hazukitoito)では楽しい刺繍作品を披露している。
構成/渡部美也 撮影/浅野剛 ヘアメイク/黒田啓蔵
※女性セブン2025年4月17日号