バツイチ独身のライター・オバ記者(63歳)が、趣味から仕事、食べ物、健康、美容のことまで”アラ還”で感じたリアルな日常を綴る人気連載。225回目となる今回は、母ちゃん(92歳)が施設に入所する、その日の話について。
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施設入所日、いつも通りの母ちゃん
92歳の母親が老健(介護老人保健施設)に入所する朝、見送りに茨城の実家に顔を出した。2、3日前、義妹から「施設の話をすると黙っちゃうんだよ。行きたくないみたい」と聞いていたんで心配していたら、なになに。「夕べ、りんご煮たんだよ。食ってみろ。うまいど」と、いつもの母ちゃん。てか、2度の入院騒ぎがうそのように元気。見たら大鍋に半分ほど入っている。
「この前の病院で出てうまかったから作ってみた」だって。どれどれとひと口食べたら、甘さがちょうどいい!
何かを作っている時がいちばん幸せそう
畑、料理、手芸。母ちゃんは何かを作っている時がいちばん幸せそうだ。ちょうど1年前も帰ったら、切り干し大根の大量生産中だったっけ。施設に入ると、手芸以外は何も出来なくなる。
そんな私の感傷もどこ吹く風。母親は茶の間の定位置に座って、集まってきた親戚とお茶飲みが始まった。
そこへ弟の同級生で、老舗旅館の跡取り娘のYちゃんが、「今日は大吉だから」と赤飯を炊いて持ってきてくれた。これがまた年寄り連中がざわつくほどのうまさ! 新しい門出に赤飯か。いいなと思うけど私はしたことない。
「脚、良くして帰ってくるから」
実家から老健まで車で10分。
「3か月なんかあっというまだっぺな。まず、リハビリ頑張って脚、良くして帰ってくっから」
母ちゃんはそう言うと、筑波山を正面に見る施設に入っていった。親戚の人と握手なんかして気丈だけど、大きな大動脈瘤が3つあり、肝硬変を薬で抑えていることを思うと、何とも言えない気持ちになる。完全面会謝絶で、これからは月に2回のリモート会話だしね。
見送ったあと向かったのは蕎麦屋
見送ったあとは、同級生のE子と蕎麦を食べに山向こうの八郷町の「ふるさと食堂」へ。今回は天もりそば(900円)にした。
すくってもすくっても無くならない打ちたての蕎麦に、ぷりぷりの海老天ほか天ぷらが5品ついて、この値段! 口にほのかに残る蕎麦粉の粉っぽさがたまんないわ。
しかしこの店の難点は、欲と愛想がないこと。山を越えて来た客を、「ああ、今日はもう蕎麦が終わっちゃったんですよ~」と平気で追い返すの。決めた量しか作らないのよ。客もそれを承知で、入れたらめっけもんで来る。
意外と知られてないけど、茨城は北海道と並んで蕎麦の有数の生産地。新そばのこの時期、どこで食べても美味しいよ。
顔も見たくないおじさんが打った絶品
蕎麦といえば、どうしても記憶から追い出せないシーンがある。
今年26歳で結婚した姪っ子がまだ5歳の頃だから20年以上前の話。当時、わが実家は子だくさんの大工の弟夫婦と、両親の三世代同居で、そこに絶え間なく客が来ていた。
「蕎麦ぶってきたど~」
ある大晦日の夕暮れ、玄関から声がしてTちゃんがつかつかと台所に入ってきた。大きな平な竹ざるを抱えている。
Tちゃんと言っても70過ぎたおじさんで、続柄は何かって? いやいや知らなくていいわ。私が血族の中で、最も唾棄すべき、顔も見たくない人だ。
なにせ朝からうちの茶の間で、学齢の子供のいる前で、あけすけな夜の”手柄話”をするんだよ。私はチラリと聞いただけで席を立って、それきりガン無視。あいさつすらしなくなった。
そのTちゃんが打った蕎麦なんか汚らわしい、誰が食えっか!と言いたいところだけど、Tちゃん、スケベと同じくらい食通でも知られている。キノコ狩りの名人で自分で獲った鰻や魚を専用の包丁でさばく。その包丁だって手製だったりする。
ダイニングテーブルに大ざるを置いて、Tちゃんは茶の間に消えた。そのすきに、白い布巾をそっとめくったら、細くて白っぽい茹で蕎麦が小さく巻かれていて、ザルいっぱいに盛られている。
そのキレイなこと! 思わず数本つまんで口に入れた。また入れた。ハサミにした指が、ザルと口の間を忙しく往復して止まらない。
「美味しいの?」
いつの間に来たのか、5歳の姪っ子が私の盗み食いを見て、マネをした。「ん!?」と言うとまたザルに手を伸ばした。
「どした?」
Tちゃんが背後から聞いてきた。「何もつけなくてもうまい」と正直に言うと、「つなぎに使ういい小麦粉をみっけたんだよ」という。思えばTちゃんと会話らしい会話をしたのはこの時が初めてだ。Tちゃんは下卑た話をするときとまったく別の職人の顔をしていた。
おじさんが来ても家には誰もいない
あれから月日が流れ、すっかり老いたTちゃんはもうひとりでわが家に来ることもないし、来たところで誰もいない。大工の弟は実家から出たのち、3年前に病気で亡くなった。父親も同じ病で亡くなり、ひとり残った母ちゃんも施設に入った。
さて、東京に帰るか。小山駅、上野東京ラインのホームの立ちそばをのぞいたら、「新メニュー 鶏皮煮こみそば」だって。
寒い中、食べたらうまいに決まっている。ああ、これが入るスキのないお腹が恨めしい!
オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。『女性セブン』での体当たり取材が人気のライター。同誌で、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。一昨年、7か月で11kgの減量を達成。
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