
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、“アラ還”で感じたニュースな日々を綴る。昨年、4か月間、茨城の実家で93歳「母ちゃん」の介護をしたオバ記者。献身的な世話のかいがあって、要介護5の母ちゃんはみるみる回復。現在は「春まで」の約束で施設に入所しています。でもオバ記者は「もう自宅で面倒を見ることはない」と言い切ります。その理由とは?
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母ちゃんは「今すぐ家に帰りたい!」
介護に正解はないけれど、それでも私は大きく間違えたと思う。昨年、4か月間、93歳の母親を自宅介護して、今は「家が寒すぎるから春まで」という約束で老健(介護老人保健施設)に入っているけれど、母親の口から出るのは「今すぐ家に帰りたい!」とそればっか。

でも私の気持ちを正直にいえば「春まで」はカラ手形だね。私が去年のように実家で行政の介護サービスを受けながら母親と暮らすつもりはあるかというと、私は激しく首を横に振る。よほどのことがあれば? いやいや、それでもイヤ。
てか、絶対にイヤ! あり得ない。母親が力ない目で私に訴えてもダメなものはダメ。そんなことをしたら私が私でいられなくなるもの。
自分をコントロールできたのは3か月まで
去年の自宅介護だって、自分をコントロールできたのは3か月までで、その頃の写真を今見ると、母ちゃん、いい顔しているなと思う。その代わり、私は鏡で自分の顔を見るのも忘れていたけど、いい顔をしている母親の写真を撮る私もきっといい顔をしていたのよね。シモの世話ありの毎日は、いろんなことがあったけれど、まだどこかに余裕が残っていたんだと思う。

「昼間、やるごとねぇがら、編み物でもすっかな」と言い出したときは、ここまで回復したのかと嬉しかったもの。往診に来てくれたU医師も、母親のかぎ針編みを見て、「そうですか。編み物まできましたか」としみじみとした口調で言っていたっけ。

「てめえ、調子こいでんじゃね~ど!」
それが4か月に入ったら老親相手に何度か激怒した。しかも巻き舌、大声、ヤクザ用語で。ひとり暮らしだと怒ってもせいぜいテレビの向こうの人相手だから、自分が「てめえ、調子こいてんじゃね~ど、バカが!」「ふざけんなよ、ごら!」なんて腹の底からガラの悪いことを叫ぶ人だとは思わなかったものね。
田舎道をバイクで通っていると、よく蛇やトカゲを見かけるけれど私の口から飛び出したのはそんなものじゃない。一瞬だけど腹の底から「ババア、死ね」と思っているんだもの。
だけど、私が間違えたと思うのは、そのことじゃないの。そこまで自分を追い込んだのは介護に対する初期設定の甘さというか、決めつけだったのよね。
ハナから「看取り」と決めつけてしまった
大間違いだったことは2つあって、1つはハナから「看取り」と決めつけてとった行動よ。先が長くないと言外ににおわせた救急医療のドクターだったU医師も「あの時のデータを見たらどんな医師だって同じ結論を出したと思いますよ」というから素人の私は鵜呑みにするしかない。

でも私の間違いはその先で、「そう長くないなら、出来るだけのことは何でもしよう。人生の最後にこの世は悪いところではなかったと思ってもらいたい」と張り切ったこと。
退院して数日後、意識が戻りつつあった母親は、用意したお膳の上を見て「ん?」という顔で私を見た。寝る前にお湯で足を拭いたあげたら、すごく居心地の悪い顔をしていたっけ。毎夜、弟が車で30分かけてやって来るのを私に、「親だがらってなぁ」とこそばゆい顔をしていた。「親だからとここまでしてもらえるとは思わなかった」ということよ。

それだけじゃない。母親には自分の姑をほとんど自宅介護をしないで老人ホームに送ってしまったという負い目がある。だから東京から泊まりがけでやってきた娘(私)が、3食用意をして、イヤな顔をしないでシモの世話をしてもらえるとは思っていなかったんだわ。
そんなこと、私には言わないけれど、客が来るとここぞとばかりに「娘がやってくれんだよ」と自慢して、その時に私の顔をチラ見するんだわ。
母親を「母ちゃん」と読んだことが大きな間違い
母親は簡単にいえば腸の病気で、毎食ごとに液体薬と錠剤を飲まなければならず、便のコントロールが一定じゃない以外は足腰が弱いくらいであとはいたって健康。8月は寝たきりだったが、9月には家の外に出たいと言って散歩までした。

それを見て、母親と同い年のN子ちゃんは「ヒロコちゃんのテナゴ(世話)がいいがらだよなぁ」とホメてくれるし、看護師さんも「お世話した成果がここまで出たら嬉しくないですか?」と言う。そりゃそうよね。
退院してきたばかりの頃は深夜11時から朝まで1時間半ごとに「ヒロコぉ」の一言で飛び起きて、オムツを外してポータブルトイレに座らせていたけど、それも1か月だけであとは起こされることもなく、夜は私は寝られた。なのに腹が立つことが増えていったの。
その元凶は何か。私が今、間違えたと思う2つ目は、母親を以前と同じように「母ちゃん」と呼んだこと。それまでは甥や姪の視線で「おばちゃん」と呼んでいたけれど、家の中で母娘だけになったら、何も考えずに子供の頃からの呼び方に戻っていたの。
母ちゃんは母ちゃんで自分の力でベッドから立ち上がり、ポータブルトイレで用が足せるようになったら、「ほれ、あそこで漬け物買ってこう(来い)」とか、「ナマス、漬けろ」と私に指示出し。さらに編み物まで始めたら家の中を支配していた「母ちゃん」に戻っちゃった。
やっぱり笑えないシモの世話
最初はそんな威張りっぷりに、私も弟も「あはは」と笑っていたけれど、やっぱり笑えないのがシモの世話なのよ。
母ちゃんだって好きで漏らしているわけじゃない。トイレに座るのが間に合わず、ポータブルトイレの下に敷いたゴザの上に撒き散らすのだって、口では「ヒロコぉ。片付けろ」と言っても内心は切ないに違いない。
そう思うから「はいはいはい。ちょっと待ってろ~。動くなぁ」とめいっぱい明るい声を出しながら使い捨ての手袋をつけたけど、これを喜んでする人がどこにいる。そんなこと、わざわざ口に出さなくても元ヘルパーの母ちゃんはわかるに違いない。わかっていながら、昔ながらの”強い母ちゃん”は「悪いな」と言えない。

と、ここまではギリギリ私の許容範囲だったのよ。だけど、母ちゃんの粗相を這いつくばって床を拭いている私にポータブルトイレに座ったまま「ん!」と言って指をさすのよ。「そこが汚れている。あそこも、ほら拭け」と言わず「ん!」。
これを何度かされた私は、もう母親に近づくのは最低限になった。呼ばれたらいくけれど、そうでないときは台所の戸をピシャリとしめた。
その話をすると、田舎で足の不自由な母親がひとり暮らしをしているT子は言うんだわ。
「だから年寄りには甘い顔をしたらダメなんだって。どこまでもつけ上がるんだから。やってあたり前、やらないと大騒ぎ。手をかけた分だけ感謝される? 甘い甘い。なんでずっとやってくれないんだって恨まれるだけだよ」
だからT子はもう何年も実家に帰っていない。その代わり、毎日のように電話をしているんだって。
T子が正しいかどうかはわからないけれど、にわか親孝行をした挙句、心が折れた私は今、心の中で「達成感」と「敗北感」という2つの文字が交互に点滅している。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【284】93歳母ちゃんの劇的回復を支えた介護のプロたちの仕事ぶり