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【64歳オバ記者 介護のリアル】母ちゃんが緊急入院、喪服を準備して「不安から逃れる」ために考えたこと

初めて降り立った外国はソ連だった

今、母ちゃんが入院している総合病院はコロナ禍でかたく門を閉ざしている。こんなときは、天下国家を考えると、足もとの不安から一時的に逃れられるんだよね。

それはそれとしてまったく油断もすきもありゃしない。平和の祭典が終わったら戦争って、何考えてんのよ、プーチン。ただでさえコロナ禍で世の中ぶっ壊れかけているのに騒ぎ起こさないで!

ここのところ、議員会館のアルバイト帰りに国会議事堂前から有楽町まで35分のウォーキングをしているんだけど、途中、人けのない霞ヶ関を通るとき、いろんなことを考えちゃう。

オバ記者
国会議事堂付近で自撮りをするオバ記者
写真8枚

向かって右が外務省で、左が財務省。私ら世代は大蔵省といった方がピンとくるんだけど、経産省の古い建物には「国税庁」という看板がかかっていて、この中にマルサと呼ばれるコワモテがいるのかの思うと、つい足早になったりして。

どっちにしろ私には一生関わりのないところ、と思ってふたつのお役所の前の横断歩道を歩きながら写真を撮って、また下り坂を降りて歩きだしたところで、古い記憶がよみがえってきたの。海外旅行をするとパスポートを発行してくれる外務省とご縁ができるのよね。

そしてと国を出たとき、初めて国というものを肌身で感じるんだよね。私の場合、初めて降り立った外国が1983年のソ連で、モスクワ空港だったの。

銃を持った男が駆け寄ってきた

空港は大韓航空機の撃墜事件の1か月後だったせいか、銃を持った軍人だらけ。目的地のギリシャに行くには、トランジットでここで一泊せねばならないんだけど、思い描いていた国際空港の華やかさはどこにもない。

なにせ飛行機の中のスチュワーデスにしてから、いかついアゴに剛毛が生えたぽっちゃりさんで、金輪際笑うもんかと固く決意している様子。おっかないなんてもんじゃないんだわ。

結局、空港では5、6時間待たされたあと、指定の宿にバスで連れて行かれ、食事と部屋をあてがわれたんだけど、ずーっと緊張したまんまよ。そりゃそうだよ。私ら銃を持っている人なんか見たことないんだから。

オバ記者
初海外はビビりっぱなしだった
写真8枚

それでも翌日、乗り継ぎで降りたブルガリアのソフィア空港は、ヨーグルトや五木寛之先生のベストセラー小説『ソフィアの秋』で親しみを感じていたせいで、ちょっと気が緩んだんだよね。

モスクワではカメラのカバーを取る気にもならなかったのに、同行の夫(当時)が私にカメラを向けてバシャ。と同時にどこで見ていたのか銃を持った制服を着た男が駆け寄ってきたの。

身振り手振りで撮影禁止と言われ、「アイムソーリー」と謝りながらカメラをしまったら「オッケー、オッケー」ということになったんだけど、男たちが肩から下げた銃の口はこっちに向いたまんま。社会主義国家とはどういうものか、このとき、ビビリながらわかった気がしたわ。

だけど翌年、また値段が安いアエロフロートに乗ったら、あれ? 様子が違うんだわ。スチュワーデスのおばちゃんはぎごちなく笑いかけてくるし、空港内も前年はなかった売店が出来ていて、3800円のキャビアとか、マトリョーシカが並んでいるではないの。

どうしちゃったのよ、と思っていたら、しばらくしてペレストロイカだのグラスノスチだのゴルバチョフだのがニュースを賑わせて、ソビエト社会主義共和国連邦からロシアになっていたわけ。

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