ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で4か月間、母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが3月7日、病院で亡くなりました。母ちゃんがいなくなってから見た故郷の景色はオバ記者にはどう映ったのでしょうか――。
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通夜やお葬式では親戚が集まって笑いも
総合病院で93歳の母ちゃんが息を引き取ってから2週間。通夜とお葬式では懐かしい親戚の人や、久しぶりの知り合いの顔を見つけては「わぁ~、久しぶり~」。気が付くと大笑いしていたっけ。
ほんと、長生きってするもんだね。母ちゃんの死を嘆く親戚の人たちも最後は「大往生だな」「トシ(年齢)に不足はねぇがんなぁ」と納得顔になるの。これは4年前、59歳で亡くなった年子の弟のお葬式のときも、その8か月後、80歳で亡くなった義父の葬儀ですらなかった明るさだ。人生100年時代というけれど、地元の友だち、E子によると90を過ぎた家族のお葬式はどこでもそうなんだって。
実家の前の道が同じだけど違う、違うようで同じ
とはいえ、だからといって私が母ちゃんの死をすっかり受け入れているかというと、また別なんだけどね。そりゃそうでしょ。生まれてこのかた64年間もいて当たり前だった母親が、今はこの世にいない、2度と会えないって、そう簡単に腑に落ちていかないって。
それはたとえば実家の前の道を歩き出した時、ああ、そうか、母ちゃんはもういないのかと思うわけよ。その瞬間の戸惑いをどういったらいいのかしら。しいていえば、自分の中にカメラがふたつある感じ、かな。
ほんの数か月前、寝たきりだった母ちゃんが手押し車を押しながら歩いた道、怒鳴り合いのケンカをした後、「やってられっかよ」と毒づきながら私が飛び出した道は何ひとつ変わってないけど、急によそよそしくなったような気がしてね。同じなんだけど、違う。違うように見えるけど同じ。私の体の中の振り子がふたつの間を行ったり来たりしてピントが合わないんだわ。
手順を踏んで旅立った母ちゃん
1年前のちょうど今頃、意識障害と心不全を起こしてつくば市の大きな病院に入院した母ちゃんは、見舞いに駆け付けた私にかすれた声で、「はぁ(もう)、母ちゃんの行ぐどごは決まってんだが、いいんだよ」と言うのよ。
「どご行ぐんで?」と聞いたら、「サガリ。ハガバだよ」と言ってにやっと笑ったの。うちのお墓は町からちょっとした坂を下りたサガリというところにある。次はそこに入るんだと言うの。
だから「そら、かまねけどよ(かまわない)。サガリに行ぐにしたって、ちゃんと手順踏んでくれねぇど、あどに残されだ者は困んだよ」と私。
そんな会話を覚えていたのかどうかは知らないけれど、その後、入退院を3回に私の自宅介護4か月のオマケまでつけて、見事に手順を踏んであの世に旅立ったんだよね。