原チャリに乗って思い出した母ちゃんの口癖
そうそう、私が地元で乗り回していた原チャリはもともと母ちゃんのもので、82歳までこれに乗って同い年のN子ちゃんと地元の石材店へ仕事に行っていたの。仕事は主に庭掃除だけど、老婆ふたりはせっせと従業員の人たちにカレーライスや煮物を作って運んでいたらしいんだわ。それがすごく喜ばれていると、母ちゃんから何度聞かされたか。
「仕事はおもしれな(面白いな)」
これは母ちゃんの口癖だったな。
な~んてことを思い出しながら、春の田舎道をぶんぶん走る。畑は作物の種をいつ蒔いてもいいように耕されていて、水が張ってある田んぼもぼちぼち。ダメだ、何を見ても母ちゃんの顔が浮かぶわ。
お彼岸の中日は、11歳年下の弟が筑波山の中腹までランチに連れて行ってくれた。筑波山の頂上へ行くローブウェイは、高校生のときにアルバイトの行き来で何度も乗った。筑波山は標高876メートルだけど頂上のコーヒーハウスのウエイトレスをしながら見た眺望は忘れられるものじゃない。
とその時は思ったのに、こうして目の前に迫るまですっかり忘れていたんだけどね。母ちゃんとのあれこれも、若き日に筑波山から見た景色のように、時とともに色あせる日が来るのかしら。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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