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【65歳オバ記者 介護のリアル】四十九日を終えて母ちゃんの「死」が「ストンと腑に落ちた」瞬間

オバ記者の母親
母ちゃんの四十九日では遺影の前にご馳走を並べた
写真8枚

ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で4か月間、母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが3月に亡くなって四十九日を迎えた。母ちゃんを亡くした喪失感が消えない生活を送っていたが、あるとき「ストンと腑に落ちた」という――。

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四十九日、“母ちゃん”と一緒に

親の死は、生きていれば誰でも経験することで、私もこれまでに何人もの友人や知人の親が亡くなり、お悔やみを言ってきたはずなんだけどね。当たり前のことだけど人のことと自分の身に起きたことは、全く別物なんだよね。

先週の日曜日、母ちゃんの四十九日にお寺でお経をあげてもらった後、お墓参り。その後、うちから徒歩5分のところにある『伊勢屋旅館』の2階で、食事会をしてきたの。

出席者は弟とその家族。それから晩年の母ちゃんが誰よりも頼りにした義父の弟のトヨさんと、叔母と私の総勢8人+“仏さま“になった母ちゃん。お誕生席に写真で参加しているけれど、そこにいるようでいない。いないようでいる。なんとも不思議な感じだったんだわ。

オバ記者の母親
食事会の最中も母ちゃんのネタは尽きなかった
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「あ、なんか母ちゃん、ひとりだけご馳走を食べられなくて悔しそうじゃね?」と11歳下の弟がいうから、私も「おおい、バアさん、悔しかったら化けて出てきて食ってみろ」と好物のたけのこの煮物をつまんで、写真の方に突き出したりして。

そうしたらなんだか写真の表情が動いたような(笑い)。その日は亡くなってから47日目で、後ろ倒しがご法度の法事ではギリギリのタイミングだ。

3年前に亡くなった義父の法事ではいつも、「早くやれ」と言っていたから母ちゃんは気をもんでいたと思うよ。

3年前の春、母ちゃんに起こった”異変“

思えば「目の奥が痛い」と言って筑波大学附属病院で精密検査をしてもらった3年前の春。その少し前から、母ちゃんの体がなんとなくギクシャクしだしたのよね。正月に義父が亡くなって「ひとり暮らしが寂しい」とこぼしたことは一度もないけれど、腰が痛い、脚が痛いはしょっちゅう。

オバ記者の母親
大学病院で目の診察をうけた日、カメラを向けたら「撮るんじゃねーよ」と怒り出した。母ちゃんが撮影拒否をしたのは後にも先にも、この日だけだった
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そのうち、「急にわがんなくなっちゃったんだよ」と意識が飛んだと言ったり、「面倒くさいからご飯を食わねえんだ」と見る見る痩せてきたり。それで嫌がる母ちゃんを説得して私が要介護認定の手続きをして、週に2回、買い物と掃除をヘルパーさんに手伝ってもらったんだっけ。

「そしたら、“母ちゃん、カブトムシ事件“が起きたんだっぺな」と弟が、『伊勢屋旅館』の絶品、茶碗蒸しを食べながらの言い出したの。

オバ記者の母親
『伊勢屋旅館』の五目御飯を持って笑顔の母ちゃん
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そうそう。台所で仰向けにひっくり返って起きられないでいるのを、甥っ子が見つけて、それで地元の総合病院に入院したんだっけ。

「それからは入退院を繰り返して、冬の寒い間は老健(介護老人保健施設)に入って、最後は家に帰ってV字回復して見せてくれたんだもん。母ちゃん、頑張ったと思うよ」と私も、箸を忙しく動かしながら、母ちゃんが写真に収まるまでの経過を振り返ったりして、法事は無事終了した。

納得した養老孟司先生の言葉

最近、テレビを見ることはめっきり減った代わりに、よくYouTubeを見るんだわ。で、お気に入りの番組のひとつが『バカの壁』の著者、養老孟司先生の講話なの。先生は、「人の死はこの世で1つだけなんですよ」と言うの。

自分の死は自分はわからないんだから無い。見ず知らずの他人の死も、自分と関わらないから無い。人の死をきちんと感じるのは、深く自分と関わった親や兄弟、夫や家族や親しい人の死だけなんだって。

オバ記者とオバ記者の母親
生前、2人で撮った最後の写真
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「そんな死を体験すると人は変わります。必ず変わります」と養老先生はおっしゃっていたけど、母ちゃんの死に直面してすっかり納得したわ。

「死んでやる」「てめえなんか死んじめぇ」といくら言っても、憎まれ口や罵り言葉の「死」は想像上のことなんだよね。実際に息を引き取った母ちゃんが通夜や葬式、三十五日という儀式を通してその現実をだんだんに認めていくんだけど、最後の最後、「この世のどこにもいない。二度と会えない」という強烈な現実が受け入れられないのよ。

世の中の景色がガラッと変わって見えてきた

「ヒロコぉ。飯まだか」「ヒロコ、ちめてえ(冷たい)水くろや」「ヒロコ、どご(どこ)ほっつき歩ってたんだ」「ヒロコ、はぁ(もう)、仕事なんちゃいいがら、寝ろ」

母ちゃんの声はちゃんと耳に残っているのに姿がない。去年の夏から冬の入り口まで座敷に布団を敷いて枕を並べて寝ていた母ちゃんはどこへ行ったんだ?

と、しょうもないことを考えているうちに突然、世の中の景色がガラッと変わって見えてきたのよ。

オバ記者の母親
家でリハビリしていたのはつい最近のよう
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母ちゃんが行ったところは、いずれ私も行くところ。何もないところからやって来て、何もないところに行く。みんな行く。生まれてきた生物はみんな逝く。なんだ、それだけのことか。

当たり前といえば当たり前のことが、ストンと腑に落ちたら、悲しいとか、喪失感がスルッと体から抜けていったんだわ。そして目に見える世界がとてもありがたくて、優しくて、大きくていい感じに思えてきた。

な~んてことを言うと、おかしな宗教でも始めたのかと思われそうだけど、この感覚は今でないと言葉にできないような気がして、書いてみたんだ。

オバ記者と母親
新年早々、母ちゃんの一言でキレたことに後悔はない
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とはいえ、後悔がないわけではない。最後に別れたとき、母ちゃんは「てめなんか死んじめ」と私に悪態をついたあと、半泣きになって老健から遠ざかる私と弟夫婦を見送っていたけれど、あのときもっと優しい言葉をかければよかった、なんてことは思わないの。あれはあれでよかったと思う。

後悔するのはもっとささいなことなんだよね。最晩年、急に牛肉が好きになって、しゃぶしゃぶにすると「この倍くらい食いてえ」と言った母ちゃんに、もっと上等な肉にすれば良かったなとかね。

もっとも、目の前の肉が100グラム1500円したなんて知ったら、「なんだとぉ! おめはバカが」と怒りだしたに違いないんだけどね。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【297】介護中の母ちゃんを元気づけていた「恋」のお話

【296】「介護した人はお葬式で泣かない」ヘルパーの言葉通りに でも涙が止まらなくなった瞬間

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