ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなって約2か月、ありし日の姿を思い出す毎日だといいます。今回は、コロナ禍の中、施設に入っていた母ちゃんとリモートでやり取りしていた日々を振り返ります。
* * *
母ちゃんのありし日の姿がスマホに
スマホを開いたとき、何の加減か、3月に亡くなった母ちゃんのありし日の写真が画面に出てくるんだよね。母ちゃんはカメラを向けられると基本、笑顔を見せたから、それを見るとなんとも切ない気持ちになるんだわ。
昨年の夏から冬にかけてシモの世話に明け暮れた実家での写真だけじゃない。数年前から体調を崩すことが多くなって、やれ入院した、退院した、施設に入った、また入院だといっては茨城に帰って、そのたびに何かしら写真を撮っていたから、結果的に私のスマホには母ちゃんの膨大な写真が保存されているのよ。
老健にいた母ちゃんとリモート通話
それが、出し抜けに出てくる。そのたびに「ギャッ、勘弁してよ」と目をそらしたくなるけど、だからといってわざわざ母ちゃんの写真が飛び出してこないようにスマホの設定を変えるかというと、そこまでする気にはなれなくてね。
その時の気分しだいで、「母ちゃん」と小さな声で呼びかけたり、昨年の今ごろは…と振り返ってみたりして。
昨年の今頃は、老健(介護老人保健施設)と病院を出たり入ったりしていた母ちゃんが、ヘルパーさんの力を借りてひとり暮らしを再開。週に何日かはデイサービスに通い出したの。で、コロナ禍で東京もんの私は出入り禁止。
ケアマネジャーのUさんから言われたときは、そこまで規制するのかとビックリしたけど、ヘルパーさんや、デイケアセンターの職員に何かあると取り返しがつかないと言われたら、納得するしかない。それで週に一、ニ度、母ちゃんの様子を見に行っていた弟のスマホでリモート会話することになったの。