回復の決め手はビューティーボルテージUP?
母ちゃんを見送って3か月。きっと私に少しゆとりができたのかもね。お世話になった人たちの顔が次々に浮かぶんだわ。そして、誰にもちゃんとお礼を言えてないな、とかね。
「しかし看取りに帰省したはずが介護になったんでしょ? そうなった決め手は何? 秘訣とか秘策とかあったんじゃないの?」
東京で元のライターに戻った私に、こんな質問をするのは、自身も親の介護をしている仕事仲間だ。
「秘訣ねぇ。タワマンに住んでいるマダムが大量に送ってくださったロクシタンのシャンプーとボディジェルを使ったら、母ちゃんの体がいきなり力がみなぎった話はしたよね? あとヘアマニキュアで少しずつ白髪をブロンドにして鏡を見せたりとか」
母ちゃんの場合、ビューティーボルテージを上げる作戦は効果てきめんだったわね。
同じスカーフばっかりしていた母ちゃん
話しているうちに思い出したのがスカーフだ。デイサービスやショートステイで外出するようになったら、出がけに、「ヒロコ、これ」と言って、首のあたりで手を回す仕草をするのよ。スカーフをつけるから用意しろってこと。
今、母ちゃんの写真を見返すと、どれだけ気に入っていたんだか、同じスカーフばっかりしているの。ときどき赤いスカーフのときもあったけれど、どっちもかなり年季が入っていて、ところどころスレたりほつれたりしていたの。
そりゃそうだよ。ピンク地に赤のスカーフは私が2002年にタイ旅行をしたときのお土産で、たしか1000円前後のタイシルクだ。赤いスカーフの方は1993年に叔母とふたりでパリ、ミラノ、ヴェネツィアの旅をしたときに土産物屋さんで買った8000円のイブ・サンローランだ。
私の初めての海外旅行は1983年のギリシャ、イタリアでそれから海外に行くというと母ちゃんは「金もねぇくせに遊び歩いでんじゃね!」と、怒るんだわ。私が「遊びじゃね。半分は仕事だよ」と言うと少しホッとした顔になって、「オレに派手なスカーフ買ってこ」と数枚の万札を畳に投げてよこす。こんなことを何回繰り返したかしら。
最初の旅行のお土産スカーフが母ちゃんの好みにドンピシャで、それで味を占めたんだね。
「なんだ、そら! 見かけねぇ柄だな。いいなや(いいね)」と、ずいぶん人からホメられたみたい。そのたびに、「おらじのドラ娘が外国に行って買ってくんだっぺな」と言うんだそうな。これは母ちゃんから直接聞いた。ま、自慢話よね。