「事実と真実は違う」というテーマ
先に記しているように、本作はラブストーリーではありません。けれども間違いなく、愛の物語です。更紗と文の周囲の者たちは、2人の関係を「普通じゃない」と決めつけますが、2人の真の関係を知っているのは、当事者である本人たちと私たち観客だけ。それ以外の者たちには、それぞれの立場から見た更紗と文の関係しか見えていません。果たしてそこに“真実”はあるのでしょうか。
原作に、「事実と真実は違う」という印象的な言葉が登場します。これは映画でも力強く描かれている、『流浪の月』のテーマです。更紗と文の関係の外側にいる人間たちが目にする2人の関係は、“女児誘拐事件の被害者と加害者”。ですがこれは、1つの“事実”に過ぎません。実際にどのような関係であるのか、“真実”は2人だけにしか分からないのです。
当事者にしか分からない切実な事情も
「誘拐事件」とまでは言わずとも、実社会でも似たような問題が多々あるように感じます。非当事者が自分の立場から目にした事実のみを盾にして、当事者をバッシングする行為をしばしば見かけないでしょうか。もしかするとそこには、当事者にしか分からない切実な事情があるのかもしれません。
日々、次から次へとさまざまな問題が起こります。その中には私たちの理解を超えたものだってあるはずです。自分の立場から見える事実を信じるだけでなく、少しでも当事者に歩み寄ろうという姿勢が必要なのではないでしょうか。『流浪の月』は、そう強く思わされる作品です。
◆文筆家・折田侑駿
1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。http://twitter.com/cinema_walk
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