
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で母ちゃんを介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなってはや3か月。介護をする前の日常を取り戻しつつありますが、最近、自身の健康にも心配な要素が…。オバ記者が綴ります。
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佐賀・唐津のフェスへ
「ええ~っ、65歳? 信じられな~い」と言われて調子に乗ってこんな写真を撮って、ますます歳を忘れて、先日、佐賀県の唐津で行われた「Karatsu Seaside Camp 2022 in 玄界灘」に参加してきたの。

初日はフジファブリック、トータス松本、奥田民生ほか。2日目は氣志團にPUFFY、真心ブラザーズほか。どっちにしようか考えて2日目にひとり参加。そうしたら、唐津のツバメ候補(笑い)の地元ロッカー・山崎幸治さんがスタッフとして会場設営する合間に来てくれて、「テントスペース、見ました? いいですよ」と教えてくれたの。佐賀県、よかとこじゃね~。
山崎さんは、唐津に移住したネットニュース編集者の中川淳一郎さんの紹介で知り合ったナイスガイ! お顔を見ているだけで嬉しくなっちゃう。
介護の苦労を愚痴ると言われた「子育てといっしょ」
なぁ~んてこと、母ちゃんの介護に明け暮れていた頃の私は、たとえ冗談でも口から出なかった。そのくらい自分を忘れていたんだわ。あのころ、自由のない生活を友だちに愚痴ると、「子育てといっしょ」とみんな同じことを言ったっけ。

ある友だちは、子育てのいちばん大変な時は、「私はマリア。世界を包む愛の化身よ」と思って凌いだと言っていたけど、今思えば私もそう。なりふりなんかかまっちゃいられない。自宅介護というたいそうな任務を遂行しているような気になっていたの。
それが終わった今は、糸の切れた凧状態、だけならいいんだけどね。母ちゃんの介護は私にけっこうなものを残してくれたんだわ。
玄界灘を眺めながら海の幸を満喫
その話はあとでするとして、波戸岬名物のサザエ焼きのうんまいことと言ったらないよ。それと焼きイカ! 塩焼きがほのかに甘いって信じられない。小屋の向こうの青い玄界灘を見ながら、キューっと冷たいビールなんか飲んだらどんなにうまいか。飲まなかったけどね。

フェスは特攻服を着た氣志團のトークが面白かったよ。「さっき大丈夫ですかって聞かれたけど、大丈夫じゃねえよ。学校出て何十年も経っているのに、まだ学ラン着ているんだから。親にだって心配されてんだから」だって。

私のお目当てはPUFFY。この海に続く丘陵地に彼女たちの歌声はピッタリだもの。
で、待ち時間に木陰でiPadを開いてのんびりノマド。そのうち顔に傘をかけてちょっと寝て、起きたらPUFFYの『アジアの純真』。もう最高だったよ。

介護中、母ちゃんと何度も病院に行ったが…
だけど、私は歳を忘れても、歳は私を忘れてはくれないのね。ジェットスターの東京ー福岡往復1万2290円のチケットは価格的には大喜びなんだけど、なにせ成田空港の第2ターミナルと第3ターミナルの間、陸上のトラックのような道を10分ほど早足で歩くのよ。
別に早足じゃなくてもいいけど、この道を見たら自然に足が早くなるから、つられて私も精一杯の早歩き。
それから京成電鉄で自宅の最寄駅の東日本橋で降りたら、階段を登るしかない。
それで家に帰ったら心臓がバクバク。それが治るのを待って、かかりつけ医のところに直行したわよ。

介護している間、母ちゃんの受診に何度も地元の病院に行っているんだけど、付き添い人が「私もおかしいんです」といって診察してもらうのはナシ。てか、そんな気持ちにならないのよね。娘は健康体っていうのが大前提だもの。
でも親が超高齢者なら娘は高齢者なんだよね。バリ健康なわけがないの。
幸い私はかかりつけ医に新しい薬を処方してもらって飲んだら落ち着いたけれど、介護中も自分の健康のことを考えなきゃいけなかったんだな、そう強く思ったのでした。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。