「娘が恐ろしい」と電話をかけてきた
その数年後にYさんの妻が事故死した。入れ替わるように結婚して実家を離れていたA子さんが離婚して、またYさんと同居するようになった。ときどきYさんから呼ばれて都心の庭付き一戸建ての家に遊びに行くと、突然YさんとA子さんが大声で口げんかを始めることもあったけど、なんだかんだいいながら、縁の深い父娘なんだなと、私は見ていたんだわ。
そのYさんは70歳の後半になってパーキンソン病で入院したの。その入院先から私に怯え切った声で電話をかけてきたんだわ。
「A子がオレを退院させて介護をするっていうんだよ。オレはそれは嫌なんだよ。A子が恐ろしいんだよ」と。かすれ声のYさんは、さらに「あいつは別れた女房とそっくりなんだ。それでつらくあたったこともあったけど、決して憎くてそうしたんじゃないんだがな」と続けたんだわ。
「じゃあ、入院していれば?」と言うと、「もうオレの自由にはならないんだよ。A子が病院と話してて」と、最後は声に力がなくてよく聞き取れなかった。
腕や太ももにはアザが…
Yさんが恐れた自宅介護はどんな様子だったのか。2人目の子を出産したばかりで、たまにしか実家には顔を出さなかった次女のB子さんは、「玄関を開けるのが怖かった」という。
「姉は私に来てほしくなかったのね。これ見よがしに父を怒鳴りつけるのよ。わがままを言う父の太ももとか腕とか殴りつけることあったみたいで、そうすると父は姉の目を盗んで黙ってそのアザを私に見せるんだよね」
訪問診察に来た主治医にアザを見とがめられたこともある。「『これはどうしたんですか?』と聞かれた父は、『転んだ』と言ったんだって。自力でトイレに行くのがやっとで、激しく打ちつけたりできるはずがないのに、父は姉をかばったんだね」とB子さん。
Yさんは夜中に呼吸困難になって救急車で運ばれた数日後に息を引き取った。A子さんの自宅介護は1年3か月で終わった。
「姉の末期がんが見つかったのはその2か月後なの。父の介護をしている間も体に異変がなかったはずはないんだけど、気づかないふりをしていたんだと思う。病院で『手の施しようがない』と言われたら、さっさと自分で探したホスピスに入院して、半年後に亡くなってしまって」(B子さん)
50歳になったばかりの姉、A子さんの“介護死”と言ってもいいような最期だった。
「姉は『仕返しする時が来るのをずっと待っていた』って、はっきり私に言っていて、それをかなえたんだけど、悲しい親子だと思う」
Yさんは40代後半で生まれたB子さんに手を挙げたことは一度もなく、そうした態度の違いをA子さんは亡くなる直前まで恨んでいたそうな。
結局、それぞれの家が抱えているトラブルの火種がいっせいに火を噴き出すのが、親の終末期、介護なのよね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。